■プロローグ
「私、旅に出ようと思うんだぁ」
ある晴れた昼下がり、日向でお茶を啜っていたら唐突にコトリがぽつりと呟いた。
「それは、傭兵やめて国巡りするって事?それとも」
「あ、うん。えと、黄金の扉の向こうに行きたいなって」
ぱっぱっと手を振りながら、言いづらそうに曖昧に笑うコトリ。
黄金の扉の向こう、異世界。自分の世界とここしか知らない私と、ここで生まれたコトリからすれば未知の世界だ。現在ブリアティルトにいる異世界から来た人の数からしても、異世界ってのはきっといっぱいあるんだと思う。
そんな途方もないところに飛び込むってことは、今生でないにしろ「別れ」を指していた。
ふぅん、と曖昧に呟いたまま言葉を発さない私に、コトリは暫く俯いて考えた後勢いよく顔を上げて言った。
「私ね、ブリアティルトを出ていろいろな世界を見てみたいんだ。もっとたくさんの人とお話してみたいし…皆や、シオカラちゃんが居た世界とかも見てみたいっ!」
そうやって、翡翠の目をキラキラさせながら澄み切った青い空を見上げるコトリは、今すぐにでも空の向こうに飛んでいってしまいそうに見えた。ああ、これはちゃんと決めた事なんだな。
そっかー、とまた適当な相槌を打つ私に、コトリは少し揺れる瞳をこちらに向けた。
「だからね、良かったら…」
「いってらっしゃい」
「…」
コトリの次の言葉を遮るように、私は微笑んだ。
「いってらっしゃい、コトリ」
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それから数か月、刻碑歴999年。巡りの一大イベントである大戦が終わり首都では勝戦パーティーが盛大に行われている頃。私はツクダニ、エルムさんと共に聖域までコトリ達のお見送りに来ていた。コトリの旅に同行するのはルーカ、ファティエさん、チマキ、ユストちゃんにアリシアさん。みんなコトリがブリアティルトで絆を紡いできた人達。思いの外大所帯だったが、これなら安心してコトリを送り出せる。
「えへへ、わざわざ見送りありがとうねぇ」
人懐っこい笑みを浮かべながら、照れくさそうに皆を見渡すコトリ。
「いいっていいって、どうせ今の時期暇なんだから。ここにはすぐ戻って来るの?」
「うん、具体的な目的があるわけじゃないから…それぞれの世界を見て回って、戻ってきて、また…みたいな!」
指をくるくるさせながら適当な説明するコトリ。それじゃ、結局いつ戻って来るかわからないじゃん。小さく吹き出しながら言うと、コトリは少し真面目な顔になって「絶対戻って来るよ」と言った。
「大丈夫っ!シオカラちゃんの代わりにコトリちゃんは私が守るよっ!」
空気を察してか、ぴょこんとうさ耳を揺らしながら横からコトリに抱き付くユストちゃん。コトリの後ろを見ると、同じようにアリシアさん達が頷いて笑っていた。
「…あははっ、うん。コトリの事頼んだよ!」
「えへへ、よろしくお願いしまーす♪」
皆で顔を見合わせて笑い合う。
黄金の扉が開くときが、近づいていた。
「…コトリ。そろそろ、だよ?」
活性化にいち早く気が付いたファティエさんが、扉を見上げながらぼんやりと呟いた。それを聞いてコトリが跳び上がりわたわたと準備をし始める。
くるりとスカートを翻して皆と目配せをすると、改まって私達の方に振り返った。
「あ、ちょっと待って。コトリちゃん、はいこれ」
いざ旅立とうとするコトリに、思い出したように声をかける社長。スマートに手を取って手の平にぽんと小さな機械を置くと、そっと握らせるようにコトリの手を包んだ。
「これは?」
「これは、コトリちゃんがどの世界に行ってもちゃんとこっちに戻って来れるようにする…そうね、道標みたいなものよ。これが無いとこっちに戻って来るのは運次第になっちゃうから、肌身離さず持っていてね」
そう言って優しい手つきでコトリの頭を撫でる。というかコトリ、帰ってくる方法考えないで旅に出ようとしてたの?エルムさんの言葉に元気よく頷きながらぽやぽやとお礼を言っているコトリに、相変わらずだなぁと呆れ混じりに笑った。少しは大人になったかと思ったのに、コトリは天然のままだった。
「それじゃ、皆そろそろ行こうかっ!あ、と…その前に!」
機械を腰に据えたポーチにしまい、くるりと舞うように私の目の前に立つと、コトリはそのまま寄りかかるように、腕を広げた。ふわりと甘い匂いと一緒に、暖かいものに包まれる。
「シオカラちゃん、行ってくるね」
「…うん。チマキの事、よろしくね」
「うんっ!勿論だよ」
コトリの背中にそっと手を添えた後、気合を入れるようにぽんと軽く背中を叩いた。
「ま、これだけ居たら手出した方が危ないよね」
「えへへっ。そうだね、皆居たらサイキョーだねっ!」
なんせ長年続いて来た戦争で名前を残してきた英雄に近い人が介したパーティーだ。手を出したら命がいくつあっても足りないだろう。にやりと意地悪く笑い、顔を見合わせた。
くすくすと散々笑い合うと、コトリはするりと私の背中から手を放してファティエさん達の隣に並んだ。
「チマキ、気を付けて行くんだよ」
「…うん。ありがと」
「安心して、シオカラ。コトリもチマキも私達が守るから」
「はいっ!頑張りますっ♪」
「うん、ありがとう。アリシアさんもユストちゃんもいってらっしゃい」
アリシアさんやユストちゃん、チマキとも挨拶を交わすと、いよいよ面々は開きだした扉に向かって歩き出した。
「いってらっしゃい、コトリ!」
「うんっ、シオカラちゃんも頑張って!」
花が咲いたような笑顔で大きく手を振りながら門の中へ進み行く。小さな小鳥が、大空に向かって羽を広げるように、力強く。
黄金の門が金色に輝き、進み行くものを導いて行った。
視界が黄金の光に包まれて、コトリの姿が霞んで行く。
次、いつ会えるかわからないけど。まあ、またいつか会えるでしょ。
何となくそう思いながら、ふわりと体が浮く感覚に身を任せ瞼をそっと閉じた。
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瞼越しにもわかる強い光が収まり、体が地面に引き寄せられていく。
「…ん、あれ?」
霞む目を薄ら開くと、やたらと周りが暗い事に気が付いた。聖域って、こんなに暗かったっけ。光りに目がやられておかしくなってる?いや、そうじゃない。
一面を覆う灰色の濃い霧、鼻につく臭い。辺りから響く沢山の機械の音。石畳の地面にレンガ造りの寂れた建物。遠くからは火事が起こったように煙が上がっていて、空を黒くどんよりと濁らせていた。雰囲気はヴァルトリエを思わせるが、どこか違う。
ああ、これはもしかして
すぐ後ろに突っ立っていたツクダニに、顔を向けないまま問う。
「…ツクダニ、ここどこ?」
「………さあ…」
どうやら黄金の扉に巻き込まれてしまったようだ。