<シオカラ視点/流血>
変な男を拾った。
その日の遠征は激闘だった。侵攻先は当時勢力が平行していたマッカ連邦王国。そこの軽い防衛と情報を受けていたはずの地点に、ヴァルトリエから中堅クラスの部隊が進軍していたのだ。私の弱小部隊は、連戦続きで疲労も溜まっているであろう敵部隊に返り討ちに合い、撤退する事になった。昂った闘争心を鎮火出来ないまま。
日はすっかり沈み、月が真上に出ても体の疼きは収まらず、私は獲物を求めて夜の森へ行った。森に深く入っていけばモンスターに出会えるはず。背の高い大木のせいで、月の光も届かないような漆黒の中を、すいすいと進んでいく。
ふと獣の気配を感じて足を止めた。真っ暗闇の中に僅かに見える光、多分木々が開けた場所があるのだろう。おそらくそこに複数体。ぺろりと唇を舐め、殺気を抑えて音もなく近づいて行く。
木々の隙間から覗いてみると、熊ほどの大きさの狼が三頭、低く唸り声を上げながら何かににじり寄っていた。人間だった。多分大人の男。
(なんでこんな時間に、こんなところに?)
まあ「襲われていた人間を助けるため」という大義名分が出来るだけで、私にとっては寧ろ都合が良いんだけど。自然と共存するイズレーンでは、無意味に獣を殺すのはあまりいい顔されないから。でも、隣で悲鳴でも上げられたらちょっと萎えるよねぇ。
若干削がれた気のまま、仕方ないと斧を担ぎ直し助けに出ようとして、気が付いた。ない。悲鳴どころか小さく漏れる声や、震える体の音すらも。
もしかしてもう死んでる?獣の隙間から見える男の顔を見てみた。
男はとても穏やかな顔で獣を見上げていた。
「さあ、たんと食え。」
うっすらと笑みを浮かべたまま、男が愛しむような声で言った。それを皮切りに獣達が一斉に男に襲い掛かる。肩に鋭い爪が食い込み、足に噛みつかれながら、男は眠りにつくようにそっと目を閉じた。
草影から飛び出し、斧を振り上げて一匹を叩き斬る。肉を割き骨を砕く感覚が、斧を通して腕に伝わる。飛び散った血が顔に降り注いだ。
「やっぱでかいな、一撃じゃ倒せないや」
背中を砕かれのた打ち回る獣を庇うようにして、こちらに気が付いた二匹が前に出てくる。人間の物とは違う、剥きだしの殺気を向けられ口元を歪めた。いいねぇ、やっぱこうじゃなくちゃ。
「こいよ。獣退治は得意だよ」
数十分後、木々の開けた場所には空間を埋めるように大きな獣の死骸が転がっていた。やっぱりこの世界の生物は強いな。ちょっと怪我しちゃった。ぱっくりと裂けた腕を見ながら、まあいいかと、手当もせずに死骸の横で転がっている男に近づく。
「おーい、生きてる?」
足でぴくりともしない男を転がす。一応呼吸はしているようだ。ただその呼吸は浅く、放っておいたら一時間もしないうちに息絶えるだろう。頭にたっぷりと浴びた返り血を拭いながら、改めて男を見る。寝巻のような簡素な格好、左腕には鉄枷をつけ、首には金色の輪をはめている。山奥だというのに素足で、全体的に泥まみれだった。怪我をしていなくても凍死しそうな姿だ。段々と青白くなっていく男の顔に視線を上げる。
別にこのまま捨ててもいいけど。
獣に食われる前の男の顔を思い出してちょっと笑う。
あれは死ぬことを望んでいる目だった。なら、持ち帰って生かしてやろう。そしたらあの穏やかな顔をどうやって歪めるんだろう?
意地悪く笑いながら男の腕を引いて、ふと動きを止めた。
こいつ、人殺しの匂いがする。
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男は拾ってから三日ほどで目を覚ました。
知らない場所で目を覚まし、混乱した様子の男に状況を説明すれば、男は自分が助かった事を理解したのか、一瞬驚いた様子を見せた後すっかり黙り込んだ。なんだ、反応それだけか。
それからさらに一週間。最初こそ栄養を摂るのを拒み、重症の体を引きずって家から出ようとしていた男も、立つことすらままならない事がわかると大人しく食事を食べるようになった。怪我が癒えて動けるようになったら、黙ってこの家を出るつもりだろうけど。
「ご飯出来たよ」
布団の上に座り込み、左腕の鉄枷を眺めていた男の目の前に器を出す。何の生物のかわからない肉と野草をぶち込んだだけの雑煮を一瞥し、男はありがとうと感情の籠っていない声で呟いた。何が面白いのか、男は普段はこうして、布団の上で静かに鉄枷を眺めている。それでも最近は、こちらが話しかければ、短く返事を返すようになってきた。
力の籠らない手で木製のレンゲを持ち口に運ぶ。男は時々顔を顰め嘔吐きながら、無理矢理といった風に黙々と雑煮を食べている。
「不味い?」
「……いや」
食えない程って訳じゃないと思うけど、と自分の分を一口食べてみた。うん、素材の味だ。
「やっぱモンスターの肉は美味しくないねー」
「…これはお前が獲った肉なのか」
「そうだよ、捌いたのも私」
確か、キラーラビットとか言ったかな。私の世界にもいた兎と似ていたから美味しいかなと思ったら、意外と肉が固くてパサパサしてた。味気ない雑煮を掻き込んでいると、男は中身が半分まで減った器を下ろして静かに言った。
「…、あの時の狼もお前が倒したのか」
虚ろな水色の目がこちらを映す。男の目が、雲が薄くかかった空のような、濁った色をしていると知ったのも最近の事だ。目の下にはくっきりと隈が出来ていた。ああ、まだ眠れてないんだコイツ。ぼんやりとそんな事を考えながら頷く。
「そうだよ」
「凄いな」
「流石にちょっと手強かったね、倒すのに時間かかっちゃった。」
でも、お前ほどじゃないよ。男が渇いた目を小さく瞬く。何も映っていない男の目から感情を引きずり出すように、男が気にしていそうな言葉をわざと選んで言った。
「人殺しでしょ?お前」
水色の目が僅かに見開かれる。ああ、意外とわかりやすい奴かも知れない。込み上げてくる笑いを抑えるように口元を歪めながら、空になった食器を置いた。
「私、まだ人殺した事ってないんだよね。ねえ、人を殺すのってどんな気持ち?」
理性という、人間が人間である為の独自性を引っぺがし、本能を引きずり出す。人間も、死にそうになったらあのキラービーストみたいに、無様に鳴いてもがくのだろうか?ねえ、望んで死ぬなんてつまらないよ。本能のまま怒っているところを見せてみなよ。
水色の目が揺らぐ。
男は、見開いたままの目を一回瞬いた後、眠るようにそっと閉じた。
「そうか」
男が穏やかな声で呟いた。あの時と同じ声だ。
「俺が殺したのは人間か」
そうか、ともう一度呟いて男は鉄枷に視線を落とした。腑に落ちたような穏やかな顔だった。
…訳が分からない。
人殺しの匂いをさせた自殺願望の男は、蓋を開けてみればただの弱弱しい人間だった。何かを悔いて、怯えてるような。私が刃を向けても、少女一人相手に抵抗しようとすらせず、あっさり首を差し出すだろう。全くつまらない。この時点で、私の男への興味はすっかり冷めてしまっていた。