ソルトに連れられ夜の街を歩く。イズレーン皇国の首都、イズルミは国の中心と言うだけあって、夜更けにも関わらずちらほらと人影があり、中には城下を警備している傭兵の姿も見える。
飲食店や酒屋は何軒かまだ開いているようで、静寂に包まれた街に賑やかな声を溢している。
「ここか?」
「いえ、もう少し先です」
足を進めようとする俺をやんわりと制止して、町の暗がりへ歩き出す。
俺が普段行く市とは離れた方向だ。先には何があったか。
疑問に思いつつ黙って後をついていくと、月明かりに照らされ薄暗かった街に急に灯りが増え始めた。見ると町の建物すべてから灯りが漏れ、建物の間を縫うように吊るされた提灯からは橙色の灯りが揺らいでいる。
戌の下刻になるというのに、石畳の上をぞろぞろと侍や着飾った女が歩いて喧々たる様子だ。
何か祭りでもあるのだろうか。
慣れない灯りと騒々しさに眉間に皺を寄せながら辺りを見ていると、少し先を歩いていたソルトが立ち止り小さく手招きをした。
「ほら、目的地に到着しましたよ。早く入りましょう」
連れられた店は町と同じように提灯で飾られた背の高い建物だった。イズルミでよく見かける小さな居酒屋のような平屋ではなく二階があり、どちらかというと宿のような作りに見えた。大きな扉の横には連子があり、そこから派手な着物を着た女が見える。
女達は隙間から俺を見ると、くすくすと笑い合い見せつけるように煙管に口をつけた。
「…?」
ここの客だろうか、変わった作りの店だ。
さ、入りますよ。と進んでいくソルトにつられ足を急ぐ。
ソルトが、出てきた店員の男と二、三言交わした後、案内されて座敷に通される。なんとも、二人で飲むには広すぎる座敷だ。壁際には鮮やかな花が飾られていて、どこからか甘ったるい香りがする。
「では、ここで少々お待ちください」
「はい、ありがとうございます」
頭を下げて下がっていった店員に礼を言い、座布団の敷かれた部屋の中央に腰を下ろすソルト。同じように隣に敷かれた座布団に座る。
「…ここ、酒屋か?高そうだが大丈夫なのか」
「大丈夫ですよ、今日は僕の奢りです。気にせず遊んでいってください」
「遊ぶ?」
閉められた襖の向こうから控えめに壁を叩く音がする。ソルトが間延びした様子で答えると、襖が音もなくゆっくりと開かれた。
「ようこそ、お出でなんし」
妙な訛りの口調。
さっき連子の向こうに居た女達だった。
一人は朱い花が描かれた着物、もう一人は鮮やかな菖蒲色の着物で、二人とも着込んだ着物を緩く纏っている。正座をして頭を下げる二人の横には徳利と猪口が乗った膳が置いてあった。この二人も店員だったのか。
「どうぞ、お上がりください」
「おおきに、では入りいす」
頭を下げて、膳を持ち一人ずつ俺達の隣に座る。
ここは酌をしてくれるのか?
ソルトの隣に座った花柄の着物の女が、猪口を手渡しながら怪し気に微笑んだ。
「手毬とええます。そっちゃ一葉。まや新造でありんすが、可愛がってくんなまし」
「手毬さんですね。ええ、よろしくお願いします」
猪口に酒を注がれながら、愛想よく笑い答えるソルト。…なんなんだ、この店は。
一葉と呼ばれた隣の女に目をやる。視線がかち合い、面白いものを見るように目がすっと細められる。蝋燭の火に艶めく紅い唇から白い歯が覗く。
「わっちの相手はあんさんでありんすか?嬉しいわあ、こな男前なあんさんとお話出来て…ささ、あんさんも一杯」
猪口を無理矢理持たされ、滑らかな陶器の徳利を傾け酒を注がれる。小さな猪口に注がれた、白く濁った酒に映る女の妖しい笑み。
少し一葉から身を引きつつ、手毬と楽し気に談笑していたソルトの耳にそっと口を寄せた。
「…おい、まさかこの店…」
「はい。綺麗なお姉さんと大人の遊びが出来るお店です♪」
大人な遊びって。
「ユーカク、と言いましたっけ。前ここのお店の子が中々レベルが高いと勧められましてねぇ。」
いやぁ、本当可愛い子ばかりですねぇ。
と、悪びれも無く笑顔で答えるソルトに、俺は無言で立ちあがった。
「帰る」
「あらまぁ」
酒を飲むだけと聞いていたのに、花街に連れて来られるなんて。シオカラを放って、そんなところで遊んでいけるか。
上品に口元に手を当て声を上げた一葉を無視し、注がれた酒を置いて立ち上がる。
「おや、こんな美人どころに囲まれて帰る気ですか?貴方も男でしょう?たまには息抜きしましょうよ」
それとも、こっちの趣味でした?と妖しく上目遣いをし、裾で首筋を隠すソルト。うざい。
無言でソルトを睨んでいると、やりとりを見守っていた手毬と一葉がソルトに耳打ちするように近づいた。
「どないしんした?」
「わっちがお気に召しませんで?」
「いえいえ、彼ウブなんですよ。ごめんなさいね」
ソルトの言葉に、口元を隠してくすくすと笑う二人。何を話しているのやら。
いい加減去ろうと襖に体を向けると、見計らったように一葉に声をかけられた。また楽し気に目を細め、座るのを促すように小さく手招きをする一葉。
「そない帰りたがるなんて、家で良い人でもおてはるん?」
「いや、違うが…」
「せやら、お神酒ん一杯やて飲んで行ってくんなまし。持て成しもせいで帰られたら、遊女の名折れでありんすえ。」
断ろうと口を開く俺の言葉を遮るように言い切る。
有無を言わなぬ笑顔で再び徳利を傾けられ、俺は心の中で溜息をついた。
…ソルトの金だし、酒を飲んですぐ帰ろう。
ソルト達が腕を絡め部屋を出て行ってから数分、だだっ広い屋敷で俺は帰る機会を見つけられぬまま注がれる酒に口を付けていた。時々投げかけられる一葉の言葉に短く返事をしながら、既に徳利三本は空けている。
酔いが回った頭でぼんやりと格子窓から見える夜空を眺めた。沈黙が漂う空間にどこからか聞こえる三味線の音と賑やかな声が流れる。
「…ぬし、花街は初めてでありんすか?」
外の音に耳を傾けていると、一葉が何気なくそう問うた。
確かに初めてかも知れない。元の世界にも花街は存在したがそれも大きな街にだけで、うちのような田舎には酒屋も一軒ある程度だったし。成人の儀を終えた後なんか、近所のおじさんや友人が誘ってくれたりもしたが、妹を残して行けないと断ってばかりだった。
そもそも、一葉のような女性と話す事自体あまりなかった。
妹やシオカラを思い浮べながら短く答えると、一葉は口元を裾で隠してくすくすと笑った。
「で、ありんしょうぇ。えらい女子遊びが得意そうには見えまへんもの」
薄暗い部屋にいても鮮やかに映える菖蒲色の裾から、するりと白い指を出し俺の頬をつぅと撫ぜた。体温の上がった肌にひやりと冷たく柔らかい感触が残る。
「酒も弱いんでありんすねぇ。真っ赤になって、かぁいらしわ」
覗きこまれるように顔を寄せられ、噎せ返るような花の匂いが鼻腔に広がる。思わず猪口を落とし退こうとするも、胡坐をかいた状態では上手く下がれなかった。畳に手をつき固まった俺に、一葉は少し目を丸くした後また楽し気に笑った。
「あらあら、折角のお神酒が…台無しでありんす」
猪口を落とした時に手にかかっていたようだ。
一葉は笑いながら酒に濡れた俺の手を取ると、濡れたような紅い唇を薄く開き誘うように舌を覗かせた。ぬるりと指に熱い舌が這う。
「っ!」
びくりと手を引くと、一葉は残念そうに目を細めた。
駄目だ。この甘ったるい声と匂いを嗅いでるとおかしくなりそうだ。
「そろそろ帰らせてもらう」
一葉の肩に手を置き押しのけようとすると、それを阻止するようにそっと手を重ねられた。
「待ちなんし」
先程の楽し気な目とは違う、熱の籠った目が真っ直ぐ俺を見る。
骨ばった俺の手とは違う、柔らかくて小さい手が這うように絡みつき、俺は逃げる事も出来ず寄りかかる一葉を受け入れた。
心臓の音を聞くように耳を寄せ、重ねた手に力を入れる一葉。
「まこと、かぁいらしお方…心臓が壊れてしまいそ」
「…勘弁してくれ」
顔を背け拒否を続ける俺に、一葉は赤い目元を細めて顔を近づけた。思わずそれを避けるように頭を下げると、ぐらりと視界が揺らいで畳に頭がついてしまった。自然と一葉の顔が天井に見える。馬乗りになられ、酔いで加減して退かすことも出来ない。
一葉はそのまま俺の顔を覗き込むように顔を寄せると、口を開いた。
「なん遠慮してはるの。ぬしを持て成すのがわっちの仕事でありんすぇ?」
「…好意も無い相手に、こういう事は出来ない」
一見の相手と身体を重ねる遊女にこう言うのも失礼だろうか。
迷いつつも視線を返してそう言えば、一葉は少し瞳を揺るがせ逸らしたあと、自然な動きでするりと着物の帯を解いた。
「なら今宵だけ…わっちをぬしの“良い人”にしてくんなまし」
はらりと着物が落ち、蝋燭の灯りに揺られ、肌が外気に晒される。薄暗い部屋の中で露わになった白い肌が橙色に照らされ。熱っぽい瞳から目も逸らせぬまま、言葉を詰まらせる。
肌を見せつけるように、ゆっくりと一葉が身を屈める。
薄く開いた唇が目の前に迫り、そして…
「―――ッ!すまん!」
「きゃっ」
唇と唇が触れる寸前で、逃げた。全力で。
倒れた際乱れた着物を抑える間もなく座敷を飛び出し襖を閉めると、座敷の中から一葉の吹き出したような大きな笑い声が聞こえた。
もう絶対あいつの誘いには乗らない