<バケット+シミット/出会い>
オーラム共和王国。
ブリアティルトの中央に位置し各国に隣接するこの国は、交通、流通の要として交易が盛んに行われている。
神の国に繋がるといわれる『黄金の扉』を擁し、人だけではなく亜人種から魔獣、妖精まで、幅広い種の坩堝となっている。
現国王ルシルムはまだ幼いものの、立憲君主と評議会が国政を担うこの国は、他国より比較的安定した治安や経済を維持しており、
衰退しつつある王家の権力も、積極的に民と関わっていく天真爛漫な姉、アーマダ姫の人気によって保っている。
種も年齢も性別も関係ない、平等な国政が作る国は、まさに黄金の扉を守護するに相応しい、万物を受け入れる楽園。
それはキラキラと輝いて美しい。
表向きの話、だが。
「これはイズレーンの工芸、蒔絵を施した真珠の耳飾り。
これはマッカの伝統手芸で作られたネックレス。
こっちはセフィドの海で取れた珊瑚のブレスレット」
「わぁ、凄い綺麗!珍しい物ばっかり!
…でもそれ、ここで売れるの?」
「ううん、さっぱり」
並べられた数々の工芸品を素通りして、子供が無邪気にかけて行った。
ここはオーラム共和王国の中心に位置する街。王宮をぐるりと囲った街は花と人々の笑顔で溢れている。
特に活気づいた市場から少し離れた場所。
子供やお年寄りの憩いになっている公園で、行商人であるバケットは一人、店を広げていた。
交易が盛んで物資には困らないこの国で、一番需要があるのは他国の民芸品やアクセサリーだと踏んで、厳選した物を持ってきたのだが、
どうやら立地が悪かったようだ。たまに通りすがりの主婦が覗きに来るものの、値段を見て帰ってしまう。
「現地の定価よりも安値なんだけどねぇ、姉姫さんも何か買ってってよ」
「あ、ごめんね。悪いけど、今日は買い物に来たんじゃないの。」
工芸品を目の前にしゃがみこむ少女に声をかけた。
金糸の髪をまとめたハンチング帽を被り直し、少女はワンピースの裾を翻して立ち上がる。
それじゃあ何で来たのと首を傾げれば、少女は懐から一枚の紙を取り出して見せた。
「バケットにちょっと見てもらいたいものがあってね」
「なにこれ、サーカス?」
「そ。一月程前から近くでテントを張ってるサーカス団のビラ」
差し出された紙は、未だパーチメントが一般的なオーラムでは珍しい、木の繊維から作られた紙だ。
鮮やかな色使いで、動物がスポットライトの中芸をしている姿が描かれている。
中々目を引く良いデザインだ。
「この前このサーカスのチケットを貰ったの。一緒に行かない?」
「えっ、連れてってくれるの?やった!僕サーカスちゃんと見るの初めて!」
「いいのいいの。…私もこのサーカス、凄い気になってたから」
少女が僅かに声のトーンを落としたのに気が付き、バケットはまた首を傾げた。
郊外にある緑豊かな広い土地。
歓迎する言葉が連なった看板を越えて森の中に入れば、サーカスに便乗して沢山の出店が並んでいる。
サーカス団は高い所場代を払い、ここを丸々貸りてサーカスを開いているらしい。
開演間近ともあって、装飾の施された紅白カラーの大きなテントの前には、老若男女多くの人が並んでいる。
皆期待に胸を膨らませ、笑顔で語り合っている。
その様子を微笑まし気に眺めながら、つられてわくわくした気分でテントの中に入った。
町の人に混じって客席に座り、まだ暗い中央の舞
ざわめき声が溢れる中、突然、テントの中が光りで満たされる。
「紳士淑女の皆々様!
我らがサーカス団のショーにお立ち寄り頂き、誠に有難う御座います!
さてこれから皆様にご覧に入れるのは、人が立ち寄る事の出来ない未開の地
果ては遥か海の向こうから渡来した、世にも珍しい生き物たちが、団員とお贈りする絆の物語
それでは間もなく開演となります。
どうぞ現も時間も忘れ、存分に夢の世界をお楽しみ下さいませ!」
シルクハットに燕尾服を纏った、小太りで愛嬌のある男の、そんな口上で始まったサーカス。
愉快な音楽と共に、飾りつけられた生物達が、調教師であろう団員と出てきては芸をして、客を楽しませていく。
家畜である羊や豚がハードルを飛び越えて見せるのは序の口。
雄々しく現れたオルガルンが火の輪繰りをして会場を湧かし、
レイヴンが会場を跳びまわり客席に花を贈り、
二匹のコングヘッドが空中ブランコをして見せ、
愛玩動物である犬や猫が可愛らしくダンスを踊り、客を和ませる。
芸の度に拍手や笑顔が沸き起こり、団員と生物は誇らし気に幕の奥に下がっていく。
「ほえー、凄いね。開演から一か月だけど人足途絶えないのも納得だ」
「そうね、皆も喜んでるし、凄く楽しそう。表向きは」
「どういう事?」
「このサーカスは夜も公演してるの。ここじゃないどこかで、こっそりとね」
煌びやかな舞台を眺めながら、苦々し気に眉間に皺を寄せる少女。
「昼間の舞台には出て来ない、もっと珍しい生物を…
危険種に指定されている飼育しちゃいけないモンスターとか 亜人、とか」
「亜人の団員もいるってこと?」
「亜人を見世物にしてるの、動物としてね」
緩く首を振る少女に、バケットはへぇ、と小さく呟いた。
ブリアティルトでは人間以外の知能を持った生物が多く存在する。
二足歩行で服や道具を使うものを、人間に近い者、亜人と呼び、言葉を話す獣は魔獣と呼ばれる。
亜人の多くは知能に加え人間を遥かに凌ぐ身体能力を持っている為、戦禍の中で活躍する。
稀人の中でその認識は薄いが、ブリアティルトで生まれ、暮らす人達にとって
亜人は未だ「モンスター」扱い、畏怖の対象だ。
「この国もそう。異種同士が共存する差別のない国、そんなの上っ面だけ。
それを謳ってる評議会の連中もそうよ。
見た目だけで判断して、どこかでは腫れ物のように扱ってる。
奴隷や人身売買は禁止されてるけど、やっぱり亜人への規制は甘い。」
無愛想だが、よく自分の面倒を見てくれる鎧の竜人の事。
大きくなったら口説きに行くと、いつも軽口を叩いて来る面白い獣人の事を、少女はよく知っている。
その二人が苦労して、今の地位を築き上げた事も。
アイオライトのような鮮やかな瞳いっぱいに溜まった涙を、乱暴に拭う。
「その夜の公演には悪趣味な貴族達が呼ばれるらしいの。でも規制が甘いだけに、大っぴらに兵士を動かして調査も出来ない。
…それに、議会の連中の中にも客がいるって噂もある。だからバケットに調査してほしいの。」
歓声の波に紛れて、凛とした少女の声がはっきりとバケットの耳に届く。
「公的な仕事じゃないからそんな高い報酬は出せないけど、私のお小遣いから出すから。…お願い」
「姉姫様のそういうところ、好きだよ」
「…な、何?急に」
笑うバケットに、困惑する少女。
少女の愛らしい目から険しさが若干ほぐれたのを見て、バケットは目を細めた。
「お受けしましょう!まだ見た事ない不思議な子達も、見てみたいしねっ」
――だから心配しないで、アーマダ姫。
舞台はまさに最高潮の盛り上がり。一斉に席を立ち拍手や指笛を慣らす観客に混じって大袈裟に立ちあがると、
演技かかった動作で大きく手を広げ、満面の笑みを見せた。
二人の会話は歓声の波に消えた。
「こちらは東の国や南の国で職人の手によってつくられた、世界にたった一つしかない民芸品!
今ここでしか手に入らない物ばかりだ!あ、そこのお姉さんちょっと寄って行かない?」
賑わう人混みの中で明るく声を張り上げる。
あれから2週間、その間バケットはサーカスの前で店を広げていた。
勿論サーカス団の調査の為なのだが、人が集まってお祭りムードもあってまあ、品物が売れる売れる。
公園では閑古鳥が鳴いていた店の前には、暇を持て余し手持ちの金にも余裕がある、珍しいもの好きの女性が集まっている。
「バケットちゃん、盛況だねぇ」
「団長さん!はい、おかげさまで!」
人混みの奥から燕尾服の男がやってきた。小太りで低身長だが、愛嬌のある顔。
たっぷりとした口ひげに長いシルクハットがトレードマークのこの人は、開演前口上を述べていた男で、このサーカス団の団長だ。
少女――アーマダ姫の言う噂が正しければ、この男が不正に危険種を持ち込み、亜人種に不当な労働をさせている張本人という事になる。
「何、私はただ土地を貸しているだけだよ。お客さんが来るのは、バケットちゃんの目利きの賜物だ。
需要の流れもちゃんと読めてる。君は若いのに良い商売人だね」
客の顔を見て笑顔で頷くその顔は、まるで皇国の福の神のよう。
団長は、開演前のこの時間こうしてテントの前の店を一つずつ回っている。
ほぼ日替わりで変わる商売人の顔と名前を把握し、商品を把握し、声をかけてくれる。
ここで店を開く際も、団長自ら懇切丁寧に場所代について説明してくれた。
そこで取られるお金も決して高くはなく、思えばサーカスの入場料だって、子供が頑張ってお手伝いすれば来れるくらいの気軽なものだ。
加えてこのサーカス団は、週に一回は小動物を連れ教会に行き、孤児に無償で芸を披露しているらしい。
良い人だなぁ、とにこにこと去って行く団長を見送りながらバケットは思った。
掘って出てくるのは聖人君子のような話ばかり。
ステージであるテントの中も、その周辺に立てられたスタッフルームとして使われている仮設テントの中にも、忍び込んだがあやしいものはなかった。
ともあれ馬車の中に摘んであった民芸品の在庫も無事売れた。他にこの場で売れるものはないし、店仕舞いをする他ない。
表から調べても何も出て来なかった。ならもっと深く潜り込む必要がある。
荷物を畳んでいると、開演間近で並ぶ行列の向こうで、団裏口に案内される初老の紳士の姿が見えた。
噂のサーカス団を見に来た貴族を、VIP席に案内しているのだろう。以前入った時に見た客席の間取りを思い出す。
「…悪趣味な貴族、かぁ」
巷には決して流れる事の無い、入念に隠された夜の公演の噂。
場所を特定するなら、嗅ぎ回り怪しまれるより歓迎される方が手っ取り早い。
歓迎されるコネとして、バケットには一つ心当たりがあった。
同じくオーラムの中心部にある住宅街の一角。レンガ造りの二階建て、築数十年というところの古い建物。
剥きだしのレンガは土ぼこりを被り色褪せているものの、玄関先は小奇麗に掃除されており、ベランダから見える花が愛らしい。
荷物をまとめサーカス前を退散したバケットはそこを訪ねてた。
「サーカスか、懐かしいなぁ。昔はよくリブと行ったよ。」
紅茶を飲みながら、にこにこと語る目の前の男性。
自宅だというのにきっちりと身に着けられたシャツにベスト。緩く巻かれたマフラー。後ろに流すように撫でつけられた鷲色の髪。
サーカスのビラを手でなぞり、伏せた目で”視る”その人。
ランプ・ジョーンズ・ワートに、バケットは無邪気な笑顔を見せた。
「興味ある?それじゃあ行こうよ!その公演の招待を受けてそうなお友達に、心当たりとかないかな?」
「心当たりどころか、この前その招待状を頂いたよ。多分ね」
「えっ、どこで?」
身を乗り出したバケットに、紅茶のカップを静かに置いて、ランプは柔和に微笑んだ。
「大陸最大のブラックマーケットは知ってるかな。」
「知らない!」
「はい。そこは帝国に隣接した地域にある、長年かけて掘られた地下都市でね。
地上の市場では売っちゃいけないようなものが沢山出回ってるんだよ。
薬に武器、魔導書、モンスターの剥製から死体、生きた人間。」
勿論亜人種も。そう付け加える。
闇市での奴隷売買で人間が流れる事は稀で、亜人種が大半を占めている。何せそっちの方が売りやすいからだ。
そこまで語り、ランプは目の前の少女の様子を、ほくそ笑みながら伺った。
バケットは博愛主義である。生物すべてを愛していると言っても大袈裟ではないくらい。
普段は天真爛漫でペースを崩さない彼女が、それを聞いてどんな反応をするのか。
「へぇー、そんなところがあるんだね!知らなかった!」
「…それはそうだろうね、簡単に知られちゃ不味い事だからね」
ランプの期待に答える事なく、バケットは無邪気に言った。
肩透かしをくらい、苦笑いを浮かべ、話に戻る。
「そこの市の常連が、たまに集まって夜会を開いているんだって。開催地はばらばら。でもどこも権力者の別荘ばかり。
2週間程前かな、その闇市に足を運んだ時に誘われてね。その夜会では楽しい催し物があるんだって。」
どうやらランプは「悪趣味な貴族」として認識されたらしい。
なんせバケットも少しそれを期待してここに来たのだから。
バケットはさり気なく、公園のアイスでも強請るように自然に、媚びて見せた。
「その招待って、僕も行く事出来ないかなあ」
「…興味無かったから、断るつもりだったんだけどね。いいよ、一緒に行こうか。」
君には以前お使いを手伝ってもらったしね。
二人が出会った時の事を思い出し、ランプは柔和に微笑んで頷いた。
夜会が開催されるのは五日後。場所は皮肉にも、件の議員の所有地だった。
表向きは権力者同士の交流の場にしか見えない。
森とも呼べるほど広大な庭は全て議員の敷地。
本邸ではないはずの屋敷は庭に見劣りせず立派で、悪趣味な程絢爛豪華だ。
広々としたホールにビュッフェ形式で並べられた料理の品々の中には、各国の珍味も混ざっており
皆物珍し気に料理をつつき、会話を楽しんでいる。
(動物の脳みそに虫の煮付けや蒸し焼き。聞こえる会話も自分のコレクションの自慢話ばかり。)
まさに、って感じだねぇ。とバケットは顎を撫でにやりと笑った。
「こらこら、せめて夜会中は上品にしてないと不味いんじゃないかな。”リブ”」
挨拶周りが済んだらしい。両手をグラスで塞いだランプが戻ってきた。
慌てて手を戻し、バケット――リブははぁいと可愛らしく笑って見せた。
葡萄ジュースが注がれたグラスを受け取りながら、よく磨かれた窓に映る自分を確認する。
気慣れない華やかなドレスに、白いレースのボレロ。何より目を引くのはシャンデリアに艶やかに煌めく金糸の髪。
早い話、面が割れているバケットは髪をウィッグで隠し、ランプの娘として変装しここに忍び込んだのだ。
かく言うランプも、普段よりも上等だが主張し過ぎないテールコートに、ダブルブレストのウェストコート姿。
どちらもこの場では然程高く無いものだが、足元の革靴は一見シンプルながらも上質な物だ。
招待客の中では一番力がないであろうランプは、招いてくれた人の顔を立てる為にもきちんとした格好で行くのがマナーだよと言った。
「君は何かと印象深いからね、喋るとすぐにばれてしまうよ」
「だーいじょうぶ、だいじょうぶ!ばっちり演技してみせるからさ、お父さん!」
「…大丈夫かなあ」
元気よくピースサインと作るリブに、ランプは苦笑した。
さて交流も済ませ食事も進み宴も酣、締めくくりに見世物をするなら今だろう。
会場の灯りが落とされ、賑やかだった場が静まり返る。
不自然に空いていた中央の舞台にスポットライトが当てられる。
光の中にいたのは、高いシルクハットに燕尾服姿の小太りな男。愛嬌のある口髭。
Ladies and gentlemen!
そんな言葉で始まった口上。
台詞こそ違うものの、語り口調も表情も、あのサーカスのテントで聞いた物と同じ。
(――団長さん)
そして、団長の後ろに控えるように立つ影を見た。
恥部だけ隠したような、露出の高いボンテージを身に着けた女性。
その女性の手から伸びる鎖に繋がれたのは、人の形をした生物。
肌をびっしりと赤い鱗に覆われた竜人――亜人種だ。
体毛の無い丸みのある頭は太い皮のベルトで拘束され、金色の目は神経質そうに細められている。
ガシャン!
太い腕に着けられた鉄枷が大きく音を立て、小さく悲鳴が上がった。だが鉄枷は壊れない。
「――と、このように、戦闘民族である竜人は大変気性が荒く、力は我々と比べればまさに蟻と象!
鋭い爪と牙を振るえば、人の肌は忽ち紙の様に引き裂かれるでしょう。
さて、力や爪はさる事ながら、竜人の特徴と言えばこの固い鱗であります」
一瞬広がった動揺は団長の語りによりすぐに鎮まり、代わりに好奇の目が竜人に集まり出す。
団長の合図で、奥から筋肉質の男が現れた。手に握られたのは、鋭く尖った槍だ。
矛先が竜人に向き、迫る。
わっとホールが沸き立つ中で、口枷の中からくぐもった声が聞こえた。
固い鱗で防がれた刃は脆く砕け、歓声が上がる。
槍の次は槌(鱗が砕けた)、その次は銃(流石に血が出た)、その次は…
竜人が下がった後も見世物は続いた。
マーマンの入った水槽に生きた豚をぶち込んで食わせるだの
瓶詰にしたドライアードを水攻めにして花を咲かせるだの
足枷をつけたハーピィに鞭を打って飛ばせるだの
悪趣味な事が一時間にもわたって
「これはこれは。随分愉快な見世物だね。」
普段ならば、一言声をかければ2倍にも3倍にもなって返ってくる程、騒がしい少女からの沈黙。
まさかどこかに行ってはいないだろうねと横目で見れば、バケットはちゃんとそこにいた。
熱心にステージを見つめるその顔は、金糸のウィッグに隠れて見えない。
「――夢は現か幻か。さて今宵最後の見世物となりました。」
スポットライトが切り替わる。
ステージに現れたのは、長身の男。
腕や足、首に鉄枷をはめられ、下着すらも身に着ける事を許されていないその身体は、無数の鞭や切り傷で変色している。
「締めに皆様にお見せ致しますは、こちらの男。ただの人間では御座いませんよ!
成体であれば体高を優に2mは越します、二足歩行の獰猛な獣。ノール。
そのノールと人間が掛け合わされ生まれた、悲劇の子。ハーフ・ノールでございます。」
痛んだ黒髪の下から、おどおどと辺りを見回す男。
団長の声、客の歓声に一々肩を震わせ、後退り逃げようとする。
後ろに構えていた筋肉質な男が、ハーフ・ノールと呼ばれた男を蹴り飛ばし転ばせた。
「がっ! あ……ぁう…」
ぱくぱくとハーフ・ノールの口が動き、言葉にならない声が漏れる。
ボンテージ姿の女が一本鞭を取り出し、ヒールを鳴らしながら近づいた。
「一見普通の青年のように見えますが、彼は立派なモンスター。知能の低い亜人以下の獣です。
狩りや戦闘においてはノールの姿に変貌し、他の生物を襲います。
この肌から体毛がびっしり生え、骨格が音を立てて変わっていく様は見物です!さあ!」
風を斬り、鞭がハーフ・ノールの背中に振われた。ハーフ・ノールの口から悲鳴が上がる。
「変われ!変われ!この化け物!」
血走った目に歪んだ口元、狂ったように急かすその顔にもう愛嬌はない。
振るわれた鞭から血が飛び、バケットの頬を汚した。
4,5度と振るわれ背中が血まみれになった頃、異変が現れる。
痣まみれだったものの張りの合った男の肌からざわざわと毛が伸び始めた。
筋肉が膨らみ、骨が伸び、動く。髪に隠れていた耳が天井に向けて伸び始め、開いた口から見える歯は鋭い犬歯へと変わっていく。
「うあッ ぁ、ああ、 が、ああァぁアアア!」
――…ああ
痛いんだね。つらいね。
ホールいっぱいに獣の咆哮が響いた。
*
狭い檻の中で、出来るだけ小さくなる。
丸まらずとも膝を抱えて座る事しか出来ない程狭い中で、
息を殺して、気配を消して生きる。
音を立てると怖い自分の”主人”が来るから。
同じように檻に入れられた、紅いのが塞がれた口から声を張り上げ、檻を揺らして暴れている。
暗かった周りに細く光が指して、”主人”が来た。
怒ってる。
紅いのの牢屋を蹴って、開けて、鎖を引っ張って紅いのを連れて出て行った。
肩を震わせ、また小さくなる。
怒られないように、怒られないように。
・
・
・
「彼らを取り締まるのは無理じゃないかなぁ」
「えっ、なんで。どう見ても悪い事じゃん!」
帰りの馬車でバケットは唸った。
「倫理的にはね。でも告発したところで動いてくれないよ。こんなご時世だしね。捨て子、育児放棄、体罰、性的虐待。人間への暴行すら取り締まれてないんだから。ちょっと可哀想な境遇の”動物”の為にわざわざ兵士を動かさないさ」
言いながら、ランプは馬車の外を眺めた。
客観的に語っているものの、彼も思わないところが無い訳ではない。
視界が閉ざされた中、聞こえてくる貴族の下卑た笑い、好奇の声、生物の苦痛の叫び。
足の上で指を組み、どこか憂い気に笑った。
「それに、今回は特に取り巻きが悪い。告発し、彼らを牢屋に放りこんだとしよう。人が亜人種を動物のように見世物にしている。それに議会の一員が関与しているなんて知れたら、兵士として志願している央国内の亜人種はどう思うかな。」
戦争中に内部分裂だ。
そもそも亜人を人として受け入れる体制が出来たのは戦争が始まってからだ。力を借りる為媚びているに過ぎない。
そんな亜人に暴動を起こされるくらいなら、たかだか数匹の亜人の不幸なんて見なかった事にしてしまった方がいい。
「そうやって臭い物に蓋してると、中身が凄い事になって、何れ器まで大変な事になるんだぞ!」
「はは、そうだね。でも戦争が終わるまでしまっておければそれでいいんでしょう。それに、ここで無理して動いたって、意味ないんじゃないかな。」
三年経ったら巡る世界。ここで多少出来事を変えたところで、次の巡りが来ればまた不当な扱いをされる亜人種が現れる。
それなら変えなくても同じこと。わざわざ危険に首を突っ込むことはないのだ。
ランプの言葉に、しかしバケットは首を振った。
「少なくとも、今悲しんで泣いている、姉姫様の喜ぶ顔を見る事は出来るよ」
ウィッグをするりと脱いで、バケットは笑った。
「でも、ランプさんには少し迷惑かけちゃうかも」
「…構わないよ。ここは私の故郷でもないしね。危なくなったら扉の向こうに高飛びすればいい。」
もうその顔に憂いはない。座席に深く腰をかけ、ランプは柔和に微笑んだ。
「それで、バケット君。この後のご予定は?」
「サーカスのテント、丸々買い取る!」
それはまた。
悪戯気に笑う彼女に、楽し気に苦笑した。
サーカス団が名を上げ始めたのは刻碑暦で見て丁度一年前。
名を上げてからは各国を転々とし、数か月間一つの国に滞在。昼間は夢いっぱいのサーカスを提供して、慈善活動をして、
一度だけ貴族の夜会に参加し、また別の国に移動する。
つまり、このサーカス団がオーラム共和王国を去る時が近づいているのだ。
外に出られてしまっては、これ以上踏み込みにくくなる。
子供が無邪気に駆け回る教会の前。
あのサーカス団が慈善活動に来ていた、孤児院だ。
その端に止められた馬車に、バケットは腰をかけていた。
隣に腰をかけたハンチング帽の少女、アーマダ姫がふてくされたように言う。
「ヴァルトリエ帝国から出発しセフィド神聖王国、そしてこのオーラム共和王国へと来てる。前の二国でも同じような事してたのよ、きっと。やな奴ら。」
「帝国からねぇ…」
アーマダ姫はあの後独自にサーカス団の動向を遡ってくれていたらしい。
渡された羊皮紙を見ながらバケットは、ランプから教わったブラックマーケットの事を思い出す。
サーカス団が売れ始める前まで、団長達は闇市にいたんじゃないか。
「ともあれ調査ありがとう、バケット。噂の真意がわかったから、後はこっちでなんとかする。」
重い麻袋を取り出し、二人の間に置く。
アーマダ姫のポケットマネーから出されたであろう報酬は、ぱっと見ただけでも8万ガッツはある。
その麻袋の中から一枚小銭を受け取って、残りを姫様にお返しした。
「それじゃ林檎一個しか買えないわよ?」
「うん、丁度林檎食べたい気分だったんだ!」
「…全く、バケットったら」
小銭を握り冗談めかして笑う顔はどこか食えなかったが、アーマダ姫は好意を受けてくすりと笑った。
内乱の可能性があると言われた以上姫様の力を借りる訳には行かない。
姫様が去った後、子供たちのはしゃぐ様子を遠目に見ながら考える。
問題は短い時間の中でどうやって交渉するか。
ぺらりと、サーカス団のビラを取り出してみる。
「あっ、サーカスだ!」
「おねえちゃん、サーカス団の人?」
色鮮やかなビラに気づいた孤児院の子供達が駆け寄ってくる。
自分達より背の高い馬車の中によじ登ろうと、精いっぱい背伸びをしてくる。
目線を合わせる為地面に降り、少し会話をして、ビラを手渡すと子供達は喜んで教会の中に走って行った。
あのサーカス団は随分子供に慕われているようだ。
「……。さて、どうしようか…ね、フーガス」
子供達の笑い声を聞きながら、バケットは暗い馬車の中に向かって呟いた。
夜会の後、招待客が去って行く中サーカス団の団長はその場に残った。
恐らく、あの後家主である議員と何か取引をしていたのではないか、とバケットは予想する。
見世物にした亜人の売買、とか。
招待客にも知らされていない取引。それを持ちかけられるにはもっと深いところで関わる必要がある。
必要なのは、危ない話を持ちかけても大丈夫だと思われるような、イカれた信頼だ。
ランプと”リブ”は昼間のサーカスを訪れていた。
従者に馬車を任せ、相変わらず賑わっているテントに近づくと、出店を見て回っていた団長がこちらに気づいた。
「これはこれは、ジョーンズさん!まさかお立ち寄り頂けるとは思いませんでした!」
「先日はどうも。楽しませて頂きました。娘があのショーをいたく気にいってね、今回はプライベートで遊びに来ました。」
ランプの横で、控えめに笑って見せると団長は納得したように頷いた。
愛嬌のある笑みを張り付け、テントの中に招く。
「光栄です。ようこそいらっしゃいました。ささ!どうぞお席にご案内しましょう!」
VIP席に通され、昼間のショーが開演する。夜会で見たものとは違う、煌びやかなものだ。
観客の顔は子供のように好奇心にきらきらと目を輝かせ、家族や友達と楽し気に笑い、語り合っている。
遠くに見えるその光景が、バケットにはまるで夢のように見えた。
ショーの中半、芸の合間に団長が席へとやってくる。
「如何ですか、ジョーンさん。お愉しみ頂けてますかな?」
「ええ、可愛らしいショーですね。だが大人には少々、刺激が弱いかな。」
「はは、気にいっていただけて何よりです。宜しければ、今度は私から直接、招待状をお送りしましょう。」
一見和やかにも見える毒のある会話。
ランプさんってほんとこういうの似合うなぁ、と失礼な事を考えつつ、二人の会話を横目にショーを眺める。
「どうせなら昼間のショーもたんと楽しんで行ってください。なんせこの公演も残すところあと一回きりですからな。」
「それは随分急な話だ。次はどこに行かれるんですか?」
「一度帝国に戻りますよ。またショーを見たいと言って下さるお客様がいましてね。何より皇国や連邦ではまだ、中々受け入れて頂くのは難しそうだ。」
皇国は昔から自然と共存してきた。国には精霊の類が多く受け入れられているし、連邦も亜人も部族が多数存在している。
他の三国に比べ、需要は低いのだろう。
ステージではドレディアが音楽に合わせて踊り、はなびらの舞いを見せている。
前回とは違った演出だ。会場いっぱいに舞い散る花びらに観客から感嘆の声が上がる。
そんな中、にこにこと笑みを浮かべた団長に、ランプがひっそりと切り出す。
「しかしこのサーカスは素晴らしい。よくここまでの珍獣を集めたものだ。さぞ管理が大変でしょう。」
「いえいえ、皆様にご愛顧頂いているおかげでサーカスも私の腹も見ての通りですよ。」
「それは何よりだ。実は、今日来たのは一つ、お願い事があったからでね。」
「――と、申しますと?」
笑みを張り付けたまま、団長の纏う空気が冷たいものに変わる。
それに合わせるように、いかにもな雰囲気でランプはすうと盲目の目を開いた。
「実はうちにもペットが一匹いてね。」
「ほほう、どのようなお子さんで?」
「生体実験により生み出された人とムカデのキメラ、と言えばわかるかな。その子を貰い受けてほしいんだよ。」
団長が息を飲み、目を輝かせた。
「それが本当なら是非一度拝見させて頂きたい」
「ええ、勿論。実はもう馬車に積んで連れてきているのですよ。」
見計らったように、ステージは締めくくりに入っていた。
急かされるように席を立ち、客が出て来る前にとテントの外に止めていた馬車へ向かう。
暗がりの中聞こえる細い呼吸音。灯りを燈すと、火に揺られ錆びた鉄格子が現れた。
「お、おお…!これは素晴らしい…!」
団長が顔を歪める。
鉄格子の中窮屈そうに身を丸めていたのは、傷だらけの男。
衣類の身に着けられていない男の身体はまるで死体のように土気色をしており、傷が無数についている。
そしてその裸体にはびっしりと、ムカデの足が生えていた。
胸部、腹部にかけて羅列し蠢く足。下半身には人の足はなく、物語の中の人魚姫のようにムカデの形をしていた。
(ごめん、フーガス)
檻の中で身を丸くしている仲間に、ひっそり心の中で謝罪をする。
彼は旅の道中出会ったバケットの仲間だった。
団長に自分たちが『同じ穴の狢』だと思わせる為に、協力して貰ったのだが
「私が扶助していた施設で創られた生物なんだけどね、そこの研究者を食べて逃げてしまったんだよ。
保護したはいいけど、何せ維持費がかかる。躾にも手を焼いているしね。
金がかかっているから捨てるにも処分するにも惜しい。」
すらすらと出てくる口から出まかせに、バケットは感心する。
これだけのネタを提示すれば、こっちも簡単には裏切れない。そう団長も考えるだろう。
檻の元に駆け寄り、芸術品でも愛でるような手つきで、空中にムカデ男の輪郭をなぞる団長。
「成程、成程!これはいい!話題性もばっちりだ!こいつぁ売れるぞ!
ジョーンズさん、これを是非私に買い取らせてください!」
これは予想以上の食いつきだ。
ランプは確認を取るようにさり気なくバケットに目配せをして、頷いた。
「ええ、では取引を…」
「だめ」
「えっ」
今まで黙って二人のやり取りを見ていたランプの娘、”リブ”が初めて口を開いた。
可愛らしいメリー・ジェーンからこつこつと小さな足音を立て、檻の前の団長に歩み寄る。
「お、お嬢ちゃん?駄目って、どうしてだい?」
「この子はわたしのかわいいペットだもの。誰かにあげるなんて許さないんだから」
「こらこら、リブ。我儘を言ってはいけないよ。ペットなら新しいの買ってあげるから」
バケットのアドリブに、ランプが即座に対応する。
膨れたように口をとがらせていたリブが、一転して笑顔になる。
「ほんと?お父様。それならわたし、前サーカスで見たあの子がほしい!」
「サーカスで見た、あの子…?」
檻の前に座りこんだままの団長に、目線を合わせるようにしゃがみこむ。
「あの黒い大きいわんちゃん!わたしあの子がほしいな。
だめ?おじさま」
翡翠の目を細める。
にっこりと、残酷なまでに可愛らしい、無邪気な微笑みを。
この子は一体誰だろう。
ランプは華奢なその背中を見た。
肩口で揃えられた金糸の髪に、大きなリボン。バケットのサイズに自分が誂えた、フリルの可愛らしいワンピース。
この位置からでは顔が見えない。それが余計に疑問を深める。
目の前に居る少女は、果たして天真爛漫なバケットなのか。それとも
「……やれやれ、仕方ないね。私はどうも娘のおねだりが断れなくてね。
如何ですかな、団長さん。物々交換というのは。」
「ええ、ええ!そりゃあもう、勿論喜んで!」
やっとまとまりかけた話をふいにされて堪るかと、団長は喰いついた。
悪趣味な金持ちが好みそうな化け物が、中古の傷物と取り換えてもらえるのだから。
ハーフ・ノールは現在この場にはいない。取引は明日の開演が始まる前、人の目がない早朝からとなった。
ランプが手綱を取る馬車に揺られながら、バケットは寝転んだ。
暑苦しいウィッグを脱ぎ去り、アッシュブラウンの長い髪を床に広げ、檻から出てきたフーガスの頭を抱える。
「ごめんねー、フーガス!こんな狭いところに入れちゃってー!
嘘だよ、あれ演技だからね!売らないから!ごめんね!」
色素の抜けた髪をわしゃわしゃと撫でる。
フーガスの顔は相変わらずの土気色で、紅い目は焦点が合っていない。
檻の中に居た時と然程変わらない様子だが、抱えられたまま動こうとしないあたりに親愛が感じられるかも知れない。
「また明日もお手伝いお願いするけど、よろしくね。フーガス」
「……」
バケットの胸の中で、眠りに落ちるようにゆっくりと目を閉じた。
ゆっくり、ゆっくりとふわふわな髪を撫でる。
「ランプさんもありがとう、ナイスアドリブだったよ」
「君こそ、素晴らしい演技だったよ。行商人ではなく、役者にでもなった方が儲かるんじゃないかな?」
「え?旅役者?それも楽しそうだねっ!一緒にやる?ランプさん!」
「…いや、私は遠慮しておくよ…」
白いタイツを身に着けた足をすらりと組む。
幌と木の枠で出来た広い天井を見ながら、広がった手触りの良いアンブレラスカートを撫でた。
・
・
・
馬車に揺られ、どれくらい遠くに来ただろう。
城下の街とは打って変わり、湿度が高いここは虫や鳥の声がそこら中から聞こえてくる。
忍び込んだテントの中、荷物に紛れて息を顰める。
このテントは生物の気配が多かった。
神経を研ぎ澄まし、遠くで聞こえる獣の声、人の声、足音に耳を澄ませる。
「さて、場所の記憶は済んだかな、”リブ君”」
礼儀正しく正座をし座りこんでいた少女、リブがこくんと小さく頷いた。
小さく耳に届いていた機械音が止まったのを確認し、ソリレスは帽子を深く被り直す。
「そろそろ日が昇り始める頃かな。
師匠には、朝になったらサーカスのテントのある広場に戻って来るよう言われている。行こうか――――…いや」
近づいて来る足音に、ふむと唸る。
「おい、今そこで女の声がしたぞ」
「まさか。ショーに参加する奴らは皆向こうのテントだ。取引に向かった奴らだって団長と出たはず…」
「…どうやら見つかってしまったようだね。」
このような物の多い場所ではリブの空間転移装置は使えない。
肩を竦め、隠れていた荷物の中から立ち上がった。スラックスについた皺を伸ばし、ベストを正す。
現れた男装姿の女に、様子を見に来た男達が警戒を強める。
「こんばんは。いや、良い朝だねとでも言うべきかな。お邪魔しているよ」
「おいおい、お嬢さん…ここは関係者以外立ち入り禁止だよ。一体どこでこの場所を嗅ぎつけて来たんだい」
「それはすまなかった、師匠の命令なんだ。そして師匠からは、”見つからずに潜入しておいで”と言われている。
しかし君達に見つかってしまった。これでは師匠の言い付けが守れない。」
「何言ってやがんだ。師匠ってのがお前のボスか」
男達がナイフを構える。同時に、男達に仕えていた獣が唸り声を上げた。
昼間のショーに使われていた獣達だろう。こちらはよく調教されていて、人間への服従心が高いようだ。
ソリレスはするりと半身で隠し持っていた細剣を抜いた。
「幸い私達を見たのは君達だけだ。
”目撃者がいなくなれば”私は見つからず任務を達成する事が出来る。そうだろう」
激昂した男たちを無視して、大人しく正座をし続けるリブに語り掛けた。
「と、いう訳だ。リブ君も目を閉じていなさい。私が良いと言うまで、そこを動かないように」
「リブ おめめ とじてる うごかない」
こくこくと頷き、小さなおててで自分の視界を塞いだ。
視覚情報が遮断された暗闇の中で、男の怒鳴り声と物が壊れる音がする。
*
「おお、おお…!
なんておぞましく、醜い化け物だ!灯りの下で見ると身の毛も弥立つ
ジョーンズさん、貴方とんでもない生物を作りましたな!これは素晴らしい!」
「あまり近づくと指を食いちぎられますよ、団長さん」
がしゃん、と檻が揺れる。
狭い檻に閉じ込められ、灯りの下に連れて来られ、見知らぬ男たちに囲まれたムカデ男は、
昨日馬車で見た時よりも随分と気が立っているように見える。
紅い目を血走らせ、身を屈めている。
そして隣合うように置かれている檻には、長身の男が怯えた様子で膝を抱えていた。
おどおどと辺りを見ては、目の前に立ったランプの一挙手一投足に肩を跳ねさせている。
「こちらも確かに受け取りました。きっとうちの娘も喜びます。大事に可愛がりますね」
「はい、有難う御座います。ではうちの者に馬車まで運ばせましょう」
にこやかに握手を交わし、檻に袋をかぶせ運び出そうとした時。
取引を行われていたテントの外から、開演準備をしていた団員の慌てた声が聞こえてきた。
「団長、大変です!すぐに出てきてください!」
「…後にしなさい、今は上客の対応中だ!」
「ああ、いえ。私にお気になさらず行って下さい。」
にこやかに答えるランプをちらりと見て、会釈をするとテントの外に顔を覗かせる。
「一体どうしたと言うんだ」
「それが…テントの前にお客様が沢山いらっしゃってて…」
そんな馬鹿な。こんな早朝に客が来る訳……
遠くでざわざわと人の声がする。
テントの中に緊張が走る中、フーガスが顔を上げた。
『珍獣サーカス団最終日、サプライズ公演!光と闇の狭間へ、ようこそいらっしゃいました。
暁と共に始まる宴は皆様を神々の世界に誘い、央国の街を黄金に照らす…
ラストステージ、間もなく開演です!
さあさあ、寄ってらっしゃい見てらっしゃーい!』
木々から覗く黄金の陽に照らされて、無数の紙が暁の空に舞った。
人々の喧噪の中もはっきりと聞こえる、共和王国全土に響き渡りそうな澄んだ声。
「あ…あの小娘だ!!何を考えてるんだ一体!?」
以前サーカス団のテントの前で、一際客を集めていた小商人の声だ。
聞いた外見的特徴も一致する。
しかし何故あの小娘は、完売したからと店を畳んでどっかに行ったはず。それ以来、一度も姿を見ていなかったのに。
爪を噛み考える団長の横からひょいとランプが顔を出す。
「一体何事… …おやおや、これは困りましたね。」
「ジョーンズさん!」
「サプライズ公演ですか、これは楽しい催し物だ。早朝だと言うのに人があんなに…
これではこっそり帰るのは難しそうだ。やってくれましたね、団長さん」
「ち、違います!これは…!只今、裏口に馬車を回しますから!」
すうと目を開いて威圧してみせるランプに、団長はたじろいだ。
団長の指示で、慌てた付き人の男がテントを出て行く。
テントの中は、団長とランプ、そして檻に入れられた化け物二匹だけとなった。
「何なんだあの娘、それにあの集客力…事前に宣伝しておかなければ、こんな…」
「違法な人工生命体…いえ、人体実験によって生み出された亜人種と、半分とは言え人間の売買。規制が緩いとはいえ、人目に触れてはまずいですねぇ。まして、現場でも抑えられたら」
「失礼します団長!街の住人の大移動を受けて、保安部の連中が集まってます!」
団長がハーフ・ノールの入った檻を強く叩いた。
まるで見計らったようなタイミング。
びしりとふざけたように敬礼をしたシルエット、やたら明るい調子で報告する女の声にランプは苦笑する。
「くそっ!馬車はまだか!?」
「ああ、大変です!馬車が金髪で子連れの女に襲撃されました!」
「何なんだ、一体!何が起こってる!」
愛想の良い顔も、夜の下卑た顔もどこにもない。
脂汗を滲ませながら怒鳴る団長に、影の女は笑った。
「――サプラーイズ!」
ばさりと鳥が羽ばたくように、まさに幕は開かれた。
「小娘…ッ!こんな騒ぎを起こして、一体何が目的だ!」
「違法な取引現場を観客で囲い、警察をここまで誘導した目的なんて、一つしかないでしょう。」
「……ジョーンズさん?貴方まさか…!」
場違いな程和やかに語るランプに、団長はやっと違和感を覚えたらしい。
唖然とする団長には目もくれず、バケットの隣にゆったりと並ぶ。
「ジョーンズさん、貴方がこの計画の主犯ですか!
私を保安部に突き出す為に!?美味しい取引を持ちかけてその娘を雇い、人を集めたと!?」
「いいえ、私は寧ろ雇われた側でね」
血走った目がバケットに止まる。
それじゃあ後は頑張って、と言い残して、ランプはテントを去った。
「まさかお前が…?ただの民芸品売りの小娘が、一人でこんな大掛かりな事を…?」
「一人でじゃないよ。いろんな人に手伝って貰った。
ランプさんにソリレスさん、リブちゃん、姉姫様、フーガス…そして教会の子供達。そう、貴方が慈善活動に行った孤児院だよ。そこの皆に、昨日お願いしたんだ。ここのサーカス団のビラを作ってほしいって。」
良い出来でしょう?と一枚の紙を団長に手渡した。
ひったくられるようにして取られた紙は木の繊維で出来たもの。
羊皮紙よりは安価で作られるものの、大量に手に入れるにはやはり金がかかる。
その資金は皮肉にも、ここのサーカス前で完売した民芸品によって賄われた。
絵具で歪に描かれた動物と、笑顔で小太りの口髭の男の絵を、ぐしゃりと潰す。
「全くしてやられたよ…。まさかただの小商人の小娘が、探りにも気づかせず、ジョーンズまで抱きこみ、しまいには街全体を動かすとは…」
「その通り!僕はただの商人だよ。
――だけど、街を動かしたのは貴方だ。気づかない?」
翡翠の目を僅かに開いたテントの隙間にやる。
すっかり顔を出した陽の光が鮮やかに差し込み、外から観客の歓声が聞こえる。
年寄りに、若者に、子供、女に男の楽しそうな笑い声。
「広いテントにいた団員さん達が、来てくれたお客さんに即興で芸を見せてるんだよ。
ビラを作ってくれた子供達は、大きくなったらサーカスに入るんだって言ってた。
あの団員さん達は亜人売買には関わっていないようだった。
もしかしたら団長さんは、そういう子達を昼間のサーカスの団員として招き入れてたんじゃないかな?
昨日、出来たビラを配ってる時だって。街の人がもう一度行きたい、絶対行くわって言ってくれたんだ。
皆貴方が作った笑顔だよ。商売人として、冥利に尽きると思わない?」
ゆったりと、団長の周りを歩きながら語る。
中央に置かれたテーブルにどっかりと腰をかけ、目を細めた。
見透かすような視線から目を逸らし、肩を震わせ、握りしめた紙屑を投げつける。
「だからなんだ、捕まって罪を改めろとでも言いたいのか!商売人が金を稼いで何が悪い!」
「ああ、待って待って、団長さん。何か勘違いしてるよ。僕は貴方を捕まえに来たんじゃない。貴方と商売しに来たんだ。」
「……商売、だと?」
昂った頭に商売という言葉だけが届き、団長を落ち着かせる。
それと同時に。
きぃ、と後ろから金属を引っかくような音が聞こえた。
ずる、ずる、と何かが背後を這ってくる。この場で聞こえるはずがない正体不明の音。何かが背後にいる気がする。
「フーガス」
自分の首元で、ぴたりと止まる。団長は恐る恐る目を向けた。
視線の真横に、ムカデ男の、土気色の顔が。
ぞぞぞ、と全身の毛が逆立ち、体温が急激に下がっていく。
「団長さんはムカデを知ってるかな?
普段は土の中とか岩の下とか、暗くて湿ったところに住んで、ミミズとか虫とか食べてるんだ。毒のついた牙で獲物弱らせて、むしゃむしゃとね。あ、でもこの大きさだからね。フーガスは何でも食べるよ」
果物とか野菜とか―――あと、お肉とか。
やっと事態を認識した団長が上ずった悲鳴を上げ、尻もちをついた。
ずりずりと大きな尻を後退させる団長を、のそりと追いかけ顔を近づけて行く。
「ひ、ひ…ッ!なぁッ なんで…!」
「今日は朝ごはんがまだだったからね。フーガスはすこーしお腹が空いてるかも知れないね。」
首筋に生暖かい吐息を感じている彼には、雑談に応じる余裕はないらしい。
小さく悲鳴を上げながら、目の前の生物から少しでも離れようと丸い身体を逸らしている。
バケットは笑顔で、腰に巻いていたポーチに手を入れた。
「さて、それじゃあ商売と行こうか。――ここに一つの林檎があります。」
それを買って下さい。
まるで子供にさんすうでも教えるような口調でバケットは言った。
肩を強張らせた団長が、必死にムカデから顔を背けながら上ずった声をあげる。
「そッ そんな物はどうでもいい!早くこいつを退かしてくれぇ!」
「おおっと、僕は労働力は売らないよ!ちゃんと物品で取引してくれなきゃ
それにフーガスは僕の言う事なら聞く訳じゃない。」
くるくると紅い林檎を手の上で転がし、弄ぶ。
どうやら、このムカデ男は食べ物をくれた相手は捕食対象から外すらしい。真意の程はわからないが。
しかし、この状況で取り出された一個の林檎が、相場の値がつけられるとは思えない。
「…わかった、わかった!林檎を買えばいいんだな!お前の目当てはなんだ!」
自棄になって答えているように見えて、探るような視線。
相場より高い値がつけられるくらいならまだいい。金ならいくら搾り取られようと、元手がある限りすぐ取り戻せる。
なんとしても生き延びねば。
「高いよー!なんせこの林檎は、姉姫様が直々に奢ってくださった林檎だからね!」
「構わん!今私に払えるものなら何でも払う!」
「そう?それじゃあ、ここ」
「…は」
林檎に口づけを一つ落として、バケットは微笑んだ。
「このサーカス団丸ごとと、林檎。これでどうかな?」
恐怖も忘れ、団長は目を剥いた。
売買に使われる亜人たちは別の場所に隠してあるものの、ここにあるテントにいる生物だけでどれくらいの価値があるのか。
このサーカス団の団長として居座っているだけで、どれくらいの利益を得られるか。
喉元に出かかっていた声を抑え、流し込む。
これはただの林檎じゃない。なにせ自分の命がかかっている林檎なのだから。
夜の公演でも名前が売れた。顧客もついた。昼間のサーカスがなくとも、亜人さえ残っていればまたやり直せる。
そして亜人は郊外に隠してあるし、亜人売買に関わっている団員も控えている。
直に戻って、体勢を立て直そう。
「取引に応じる!その林檎を化け物にくれてやれ!」
「まいどありー♪」
バケットに声をかけられて、足元に絡みついていたムカデの足が剥がれた。慌てて転げるように抜け出す。
ずるずると団長から離れて行ったフーガスは、立ち尽くしたバケットに絡みつくと、その手に握られていた林檎に噛り付いた。
しゃくしゃくと瑞々しい果実を咀嚼する音が場違いに耳に届く。
両腕を落とされ、身体からおぞましいムカデの足が生えた男が、少女に絡みついている光景というのは、見ているだけで寒気がするものだったが、
当人のバケットの表情と言えば、飼い犬にビーフジャーキーでも与えるように穏やかなものだった。
「イかれてる…!」
「早く逃げた方がいいよ、ここにも直に警察が来る。
…貴方を破滅させる事で得られる利益より、公共の損害の方が大きいようだからね。」
次悪さするなら、捕まらないようにね。
ムカデ男と戯れるバケットを警戒しながら、震える足で団長はテントから抜け出した。
人々の笑い声を、笑顔を、遠くで見ながら。
その日、パテラウム川周辺の湿原で火事がおきた。
街の住人の大移動事件も、集まった保安部の兵士によって早急に納められた。
朝焼けから日が昇り切るまでの間の短い時間だったが、いつもは遠くで眺めているショーが間近で見れ、生き物と触れ合え
街の人は大いに満足してくれたようだ。
昼間のラストステージも滞りなく開演された。
直前に何故か失踪した団長の不在は団員が埋め、ステージは大いに盛り上がったようだ。
教会の前に馬車を止め、子供たちが元気に走り回る様子をぼんやりと眺める。
先日犬を飼い始めたらしい。子犬と無邪気に戯れる子供達の様子は平和そのものだ。
「アイス、溶けちゃうわよ?バケット」
屋形に腰かけ隣でアイスを舐めていたアーマダ姫が覗きこんで来た。
慌てて溶けかけたアイスを舌で掬うように舐めとる。
「疲れてる?ここ一か月、ずっと動いてくれてたもんね」
「さて、何の事やら」
「…あのサーカス団、昨日アティルトを出たわよ。
失踪した団長の帰りを待ってたようだけど、借地期間が過ぎたから周囲の町を転々として探してみるって」
ミルクの甘さがじんわりと身体に滲みる。
バケットはあの後すぐに林檎一個で買い取ったサーカス団を手放した。
サーカス団の団員に混じって、動物と戯れながら人々を笑顔にするため旅をするのも、中々楽しそうではあったが。
結果事態は団長の失踪という形で伝わった。原因はわかっていない。
「団長が失踪したのと同じ日、パテラウム川の近くで小火騒ぎがあったの。
あそこは整地もされてなくて滅多に人は通らないんだけど、何故かすぐに通報があってね。
火はすぐに鎮火されたけど、焼け跡から焼け落ちたテントと死体が三つ出たって話。」
アイスを持つ手が止まる。
いつもははつらつと輝いている翡翠の目を憂い気に落とし、黙祷するように伏せる。
それも僅かな間の事で、次目を開いた瞬間には瞳に輝きを取り戻していた。
「”道端で保護”された子たちはどうなってるかな?」
「あるべきところに帰してあげたいけど、人に不信感があるせいでどうもね…
同じ亜人種に声をかけてもらってるけど、まだ少しかかりそう。」
リザードマン、マーマン、ハーピィ、オーガの子供、リリス…
あの日、湿原に隠されていた場所から連れてきた亜人の何人かは、檻から解放した途端どこかに行ってしまった。
彼らのうち何人かはトラウマを抱え、人に不信感を持ちながら生きて行くのだろう。
保護された子達だってそうだ。自分勝手に街に連れてきた事が果たして正しかったのか、バケットにはわからない。
ランプは、彼らを解放する際「この場で殺した方がいいのでは」と口にしていたけど。
「一人、まだ話を聞けてない人がいるの。」
アーマダ姫が口元に運んでいたアイスを下ろしながら、神妙な顔で言った。
「人どころか亜人すら怖がって、ずっと部屋の隅で丸くなって、食事も摂らないで衰弱してる。言葉がわからないみたいなの」
そう聞いて、思い浮かんだのはぼさぼさの黒髪をした長身の男だった。
ハーフ・ノール。保護された亜人の中で彼だけ、何もヒアリング出来ていないらしい。
残っていたアイスをコーンごと口に放りこむ。
「僕をその彼に会わせてくれないかな。」
姫様を乗せた馬車を走らせる。
城の中は一般人こそ立ち入る事もないが、出入りが禁じられている訳ではない。
城の一角には兵士が使用する訓練場があり、傭兵もここを利用できる。
立木打ちに使われる木や巻き藁が並ぶ広場を抜けると見える宿舎。
寝床のない傭兵などが仮宿として使う場所なのだが、今はそこに亜人が保護されている。
中々年季は入っているが綺麗なレンガ造りの建物だ。
「ここの三階の、一番奥の部屋よ」
扉の前に立った。物音のしない部屋の奥から緊張感が伝わってくる。
怖がらせないよう、アーマダ姫には扉の前で待ってもらって、
ひとつ息を吸い込んでから扉のノブを静かに捻った。
キィと、扉が小さく音を立てる。
部屋の中はカーテンのかかっていない窓から陽の光が入りこんでいるものの、どこか薄暗く、
しわの一つも寄っていないベッドは生活感を感じさせない。
バケットは視線を動かした。
「―――こんにちは」
部屋の隅で丸まっていた彼を見つけ、声をかける。
頭を抱えながらびくびくと肩を震わせる彼は、夜会で見た時のままだ。
服も支給されているし風呂も共同のがあるはずだが、どちらも拒否しているのだろう。
つんと饐えた異臭。細身の体には骨が浮いていて、今にも折れそうだ。
ゆっくりと近づき、目の前に立つ。震えが大きくなった。
「君が喋れないって子だね。ご飯も食べてないんだって?お腹空かない?」
「……、……ッ」
ひゅ、ひゅ、と喉の奥から擦れた呼吸音が漏れる。
バケットはしゃがみこんだ。
目線を合わせ、髪に隠れた奥の瞳を覗き込む。
まるで人を見た事がない野良犬のような反応だ。このまま追い詰めれば、腕を食いちぎって来そうな。
(子供みたいだ)
そんな彼を見て、バケットは思った。
大きな体を必死に小さく見せている彼が、母親に愛されたくて、嫌われるのが嫌で怯えている子供に見えた。
「…そういえば、君はあのテントにいたんだね」
取引のダシに使ってしまった彼だ。話し合いが上手く行かなければ、警察に人身売買の証拠として彼を突き出すつもりでもいた。
きっと怖かったことだろう。
バケットは少し考えた後、翡翠の目を柔らかく細めた。
「それなら君はあのサーカス団の一部、つまり僕に買われた事になるね。まあ、これも何かの縁かな」
怖がらせないよう、地面すれすれに閉じた手を差し出して、ゆっくり指を開く。
柔らかくて白い、何の危害も与えない少女の無力な手。
「おいで、ハーフ・ノール君。僕と一緒に旅をしようよ」
――差し出された手が握り返されるのに、まだ暫くはかかりそうだが。
かくして旅商人の少女、バケット・ラガマフィンと
ハーフ・ノール――のちにシミット・ラガマフィンと名付けられる男は、運命的な出会いを果たした。
これはのちに語られる物語の、序章である。