<パンナ/修行>
――剣戟は相手を理解したら死ぬらしい。
鬱蒼と草の生い茂るそこは、かつて事務所があった場所だった。
そこに一人、パンナは目を伏せ佇む。
風を受け、伸びた髪が靡いた瞬間、しゃんと、背にあったナイフを抜いた。
背の反ったナイフが風を裂き、曇り空から差し込む陽の光に鈍く輝く。
剣戟は相手を理解したら死ぬらしい。
果たしてそうだろうか。
己の刃に問う。
かつて事務所があった場所。
この皇国で、恋人や仲間と過ごした場所。
恋人と語り合い、身を寄せあった、牧場の慣れの果てで、
在りし日の記憶を思い出しながら、ナイフを振るった。
ガレットさん
(――斬れない)
オペラ
(――斬れない)
ラクターさん
(――斬れない)
瞼の裏に現れた愛しい人の姿に、刃を突き立てる事も出来ず腕を止める。
パンナは薄情ではあるが、非情ではない。
長く共に過ごしたガレットや、恋人であるラクター。
子供のようでもあり、愛玩動物に似たオペラに刃を突き立てられる程狂ってはいなかった。
自分は「死人」になりきってはいないのだろうと、デズーアの言葉を思い出す。
だからこそ、パンナは人間相手に戦うのを躊躇い、仲間であるガレットを傷つけた時に心を乱した。
情が刃を殺すのは、確かだ。
事実、パンナの刃は人に向けるのを躊躇う事で、鈍になっている。
ならば彼はどうだろう。
目を開き、空にしっかりと、師であるデズーアの姿を映し出す。
剥き出しのくすんだ色の骨。
ひび割れ、痩せ細ったその骨に、とてつもない力が宿っている事をパンナは知っている。
固い土を、踏み込んだ。
小手を狙う。
腕を掴まれ受け流される。
今度は腹。
鞘で軽く受け止められ、反撃される。
以前は空や木を我武者羅に斬るだけだった素振りも、はっきりと敵を作り出す事で意味を成した。
師の動きを頭の中で再現し、隙を探り、同時に自分の攻撃を躱させる。
自分が作りだした幻影とは言え、師は簡単には斬らせてくれなかった。
(…斬れない!)
奥歯を噛みしめ、暗い眼窩を見つめる。
パンナがデズーアを斬れない理由、それは自分でもはっきりと自覚している、実力差。
後ろに回り込む。
蹴り飛ばされる。
正面から。
避けられる。
(じゃあ、もし、実力差が埋まって、斬れたとして―――どうする?)
ふと頭に浮かぶ疑問。
斬って、その先は?
人を斬って、師を斬って、そうまでして強くなる意味は?
左足を引き、半身になり、構えを変える。
以前素振りを見てもらった時のように、ゆっくりナイフを振るって行く。
昔は、ただ斬る事が楽しかった。強くなりたいなんて考えもしなかった。
今修行している理由は、自分を制御する為だ。
無暗に暴れて、傷つけないように。
でも、傷つけたくないのなら、そもそも凶器なんか持たなければいい。
そうしないのは、楽しさを知ってるからだろう。狂気に落ちる楽しさを。
自分の良心と欲を両立させる為に、強さを望んでいる。
その為に周りに心配かけ、恋人の庇護下を抜けて、師を斬る為に修行をしている。
幻影が消えナイフが宙で止まった。
日が傾き、気温の下がった山の空気は汗が滲んだ肌をひやりと撫でる。
皮膚や肉が凍り付く程、はっきりとわかる心臓の熱。
冷えた体の中にぽっかりと、そこだけ熱した石を落としたようだ。
自分の頭の中ですら都合よく動いてくれない。斬れる展望が見えない。
「…斬れるのかなあ」
ナイフを握る腕をだらりと下ろして、僅かに乱れた息を整える。
大きく息を吐き出す度に、白い煙が空気に溶けて消えた。