<ガレット視点/ガレット+テーシュ/微エロ表現>
ドッペルゲンガーを知っているかな。
ブリアティルトで言うところの『ドッペルゲンガー』とはモンスターの事であるが、昔――ガレットやパンナが出生した時代より遥か昔は、幻覚や生霊の類だと伝えられていた。
行方知れずとなっていた食卓部隊の隊長が戻り、お役御免となったパンナとガレットは、早々にオーラム共和王国に戻るとメリエンダ部隊を再結成した。
ラクター率いる事務所の面々とも合流し、陣営移動に伴う提出書類を片付け、やっと腰が落ち着いて来た頃。
それはガレットが珍しく、パンナの買い物に付き合い、活気あふれるオーラムの市を歩いていた時だった。
大決戦を終えたばかりという事もあり、その日の市は特に活気づいていて、小柄なガレットは人混みに飲まれていた。
連れのパンナを見失い、歩き辛さにいい加減苛立っていた頃、突然後ろから肩を掴まれた。
「テーシュ?こんなところで何やってんだ」
不快感を感じながらも素早く猫を被り振り向くと、知らない男が不思議そうな顔でこちらを見ていた。
鷲色の短髪に、小奇麗だが使い古されたジャケット。纏う香りはオーラムでよく出回っている安物の煙草か。
男は華奢な肩から手を離し、首を傾げるガレットを見降ろしながら詰め寄った。
「ホテルで待つよう言ったろ、ふらふら出歩くなって…」
「おじさん、だあれ?」
「あん?」
純粋、そうに見える瞳で男を見つめ返すと、男は何か言いたげに口を開いた後、小難しい顔をして頭を掻いた。
「呼び止めちまって悪ぃな、嬢ちゃん。人違いだ、忘れてくれ」
愛嬌のある顔で笑い、片手を上げて男は人混みの中に消えて行った。
人違い。
まあ、たまにはそういう事もあるのだろう。
特に気にするでもなく、進行方向へと身体の向きを戻して、ガレットははたと気が付いた。
「…完全に見失ったわ」
視界いっぱいに広がる背中から、連れを探し出すのは困難を極める。
ガレットは肩を落とし、諦めて事務所に戻る事にした。
出身も時代も違うオーラム共和王国であるが、冒険者として、傭兵として過ごした時間は長い。
ガレットにもそこそこ、久しぶりに戻ってきたこの国を懐かしむ気持ちがあった。
珍しく買い物についていったのもその為なのだが、あまりの人の多さに昼間は断念してしまい、何となく遊び足りないような気持になったガレットは、その日の夜一人でふらりと酒場に出掛けた。
ガレットの容姿では酒の代わりにミルクを出されるどころか、親切な定員に家に付き返されない。
メイクと服装で年相応に化けたガレットは、おかげで寄ってくる酔っ払い達に優雅な一人酒を邪魔され、頼んだビールの一杯も飲み切らずに、早々に酒場を退散した。
「ラクターでも連れてくるんだったわ」
夜道を一人で歩きながら、まとめ上げた髪を乱暴に解く。
このまま真っ直ぐ事務所に戻るのも癪だった。
高いヒールを履いていた事もあって、のんびり石畳の上を歩きながら夜風に当たっていると、
風に乗ってどこからか、ふわりと甘い香りが漂ってきた。
どこかで嗅いだことのあるような、砂糖のような、花のような甘い香り。
「…この辺に花なんて咲いてたかしら」
引き寄せられるように、香りが漂ってくる方へ歩き出す。
路地をくぐり、街頭の少ない道に出る。
ちらほら見えていた人影は無くなり、虫の音すらも消え、静寂が辺りを支配した。ゴーストタウンにでも来たような、世界が自分一人になってしまったようにも思える静けさ。何もない道だ。
未だ甘い香りがまとわりつくものの、いい加減元来た道に戻ろうと踵を返した。
「―――…え」
誰も居なかったはずの道に、一人の少女が立っていた。
肩口で切りそろえられた、ふわふわのブロンドの髪。健康的な褐色の肌。赤い大きな瞳。華奢な身体。
見覚えのない少女のはずなのに、その顔はとてもなじみ深いものだった。
なんせ、毎日鏡で見ている顔なのだから。
「…私?」
紛れもなくその顔は自分の物だった。
正反対な肌や目の色も相まって、まるで鏡映しだ。
足を止め、茫然と目の前の少女を眺めていると、少女は赤い瞳を柔らかく細め、愛らしく笑った。
細い手を振り、くるりと路地裏の影に消えて行く。
「あ、ちょっと!」
我に返り、少女を追いかける。が、大きく踏み出した瞬間高いヒールでバランスを崩した。
起き上がりやっと路地裏を抜けた時には、忽然と少女の姿は消えていた。
まるで幻覚でも見たかのように。
あの少ない酒で酔ってたのだろうか。
「……あーあ。駄目ね、今日は大人しく帰りましょ…」
軽く頭を振ると、ガレットは事務所に向かって歩き出した。
あの甘い香りは、いつの間にか消えていた。
*
安ホテルの一室。
部屋の灯りはすっかり落とされ、窓から差し込む月明かりが殺風景な部屋を静かに照らしていた。
音もなく部屋の扉を開けると、すっかり嗅ぎ慣れた煙草の煙が薫る。
「相棒を置いて一人夜遊びかい、寂しいねぇ」
暗がりの中、月明かりに照らされ燻る煙草。
短くなったそれを灰皿に乱暴に押し付け、ベッドに腰かけていた男が入室者の元に歩み寄る。
「――あら、まだ起きてたの?悪い子ね」
「そりゃあ"良い子"でないのは確かだな。俺も、お前も」
扉の前に立ち尽くしたままの入室者――相棒である女を、そっと壁に押し付ける。
短く切りそろえられた男の髪から水滴がぽたりと落ちる。
シャワー上がりなのだろうか。
腰布を巻かれただけの男の身体からは煙草の香りに混じって、ほのかな石鹸の香りがした。
迫る男に動じた様子もなく、女は笑った。
「妬けちゃうねぇ。俺というものがありながら、どこの男と遊んで来たんだ」
「ふふっ。残念、今日のお相手は女の子なの」
「…あー、忘れてたぜ。あんたが度の過ぎた節操無しだって事」
「あら。あたし、味にはうるさい方だけど?」
浮気の話をしていた舌の根も乾かぬうちに、するりと男の肩に手を回し、求愛するように甘く、口づけをする。
猫のようにすりよる女を受け止め、舌を絡める。
腰に手を這わせ、女が纏う服に手を入れながら男は笑った。
「そうかい。そりゃぁ、相当な別嬪さんだったんだろうなぁ」
「ええ、とっても可愛い子よ。とてもね」
首筋に噛み付かれながら、女は目を細めた。
「なんせ…あたしのモデルになった子だもの」
夜道に出会った可愛らしい少女の事を想いながら、
腰も砕けそうな程甘い声で、女は愛し気に呟いた。
*
昼食――たった今起きてきたガレットにとっては朝食になるのだが。
昨晩の事と眠気も相まって不機嫌な顔を隠そうともせず、事務所の面々と食事を摂っていると
給仕をしていたパンナがふと手を止めこんな事を言い出した。
「あれ、ラクターさん。石鹸変えました?」
「? いや、君と同じものを使っているはずだがね」
「そうですか?」
匂いが気になるらしいパンナは、人目を気にする様子もなくラクターに鼻を摺り寄せた。
何だ急に、とかいちゃつくなら部屋でやれ、とか
喉まで出かかった事をサラダと一緒に飲み込み、只管朝食に目を向ける。
この二人が人目を気にしないのは、いつもの事だ。
「スーツからかな。なんか甘い匂いがします」
「そうかな。私にはわからないが…」
「…そのジャケット、5日前に着てたやつでしょ」
首を傾げるパンナの腰に、ラクターがさり気なく手を回したのを横目に見て、口を挟む。
年中黒のスーツ姿のラクターだが、よくよく観察すればその服装は微妙に違っている。
ジャケットやパンツ、ハットの形、ネクタイの結び方
足元もローファーを履いている事もあればパンプスを履いている事もある。
今着ているジャケットは、5日前に見たものと同じものだった。
「女の移り香だったりして。あの時あんた、用事があるって随分遅くに帰ってきたじゃない?」
イラつきついでの八つ当たりに、心の中で意地悪く笑いながら、しれっと適当な事を言うと
ガレットが求めていた反応に反して、パンナは純粋そうな目で頷いた。
「ああ、香水の匂い。女の依頼主さんだったんですね」
「ふむ…確かに女性ではあったね。香水か」
「……」
この二人に普通の反応を求めたのが間違いだった。
納得したように食事に戻るパンナと、顎に手を当てマイペースに考え事をしているラクターを見て、ガレットは首を振った。
「…ごちそうさま」
「あれ、どこ行くんですか?ガレットさん」
「ちょっと散歩ー」
気が立っている中、この二人のいちゃつきっぷりを見せられたら余計苛々しそうだ。さっさと着換えを済ませ、食事を続ける二人にひらひらと手を振ってガレットは事務所を後にした。
春先ということもあって、ポンチョは羽織らず身軽に外に出る。
外の空気は柔らかで、暖かい陽気に僅かに心まで軽くなる。
市場も昼食時ということもあり昨日よりは空いていて、先程よりほぐれた気持ちで町中を見回した。
昨日の夜見た、ゴーストタウンのような街と同じところとは思えない。
人々の声を聴きながらゆったりと歩いていると、またもやその足を止められた。
「おやお嬢ちゃん!今朝ぶりだね、また買い物に来たのかい?」
今度は果物売りのおばさんだった。
商品の向こうから、身を乗り出すようににこにことこちらを見ている。
ガレットは首を傾げた。
「また?」
「さっきの林檎は美味しかったかい?おや、今はお父さんと一緒じゃないんだね」
「…。 えっと…、うん!またお買い物にくるね!」
人違い。
ガレットは少し考え、適当に話を合わせると笑顔でその場を離れた。
昨日の男といい、さっきの果物売りの女性といい、そう立て続けにこんな事、あるものだろうか。
何より、前の巡りはこの国にずっと住んでいたけど、人違いをされたことなんて一度もなかった。
昨日の夜見た少女の事を思い出す。
自分とそっくりな、褐色肌の少女。
「…いやいや、まさかね」
ガレットは首を振った。
「――自分と同じ姿をした少女、ね」
散歩もそこそこに事務所に戻り、案の定暇を持て余したガレットは
とっくに昼食を食べ終え、巡り終わりの書類整理をしていたラクターの部屋に押し入った。
勿論仕事を手伝いに来た訳ではない。
珍しそうな本を漁り勝手に読みながら、そのついでに、何気なく昨晩の事や人違いの話を零していた。
これは無意識の事だが、ガレットが自分の日常の出来事を、ましてラクターに話すなど珍しい。
ラクターもそこに引っかかったのだろう。
動かしていたペンを止め、本をぺらぺらと読み流すガレットを盗み見る。
愛らしく整っているその横顔は、猫が剥がれているとは言えいつも通りの範囲内。
「世界には自分と同じ顔をした人間が三人いる、って聞いた事があるね。」
「そうね。まさか同じ国の同じ街にいるとは思わなかったわ、びっくり」
「ああ、その話が真実だとしたら、まさに奇跡的な確率だろう。」
それではこういうのは如何かな。とラクターは続けた。
「ドッペルゲンガーを知っているかな」
くるりとペンを回し、笑みを作って見せるラクターに、ガレットは顔を顰めた。
「…モンスターでしょ?それじゃあ、あんたの仕業だって訳?」
「勿論違う。
だが、こんな人気の多い町中に彼らが突然現れるのもおかしい。
彼らは形がなく、本来灯りの無い洞窟などに住まうからね。」
何が楽しいのか、笑みを深めるラクターに苛立つ。
羊皮紙とは違う素材の紙をめくる手を無意識に止め、感情を隠そうともせず睨みつけた。
「あんたのその勿体ぶるところうざいわよ。じゃあ何だって言うの?」
「物語には前振りがあった方が楽しいと思うんだがね。…まあいい。
遥か昔、ドッペルゲンガーは”自己像幻視”と呼ばれる幻覚症状、または精神病の一種とされていた。
オカルト方面でのアプローチで言えば、”生霊”かな。」
「生憎幻覚を見るような不思議なお薬使った覚えはないし、精神病や生霊に成程気に病む事もないわよ。」
「それは失礼したね」
興味無さげに肩を竦めるガレットに、ラクターは依然笑みを張り付けたまま同じように肩を竦めてみせた。
話はここで終わりだ。乱暴に開いていた本を閉じ、一言投げかけ部屋を出ようと踵を返す。
ペンを再び動かし始めたラクターは、羊皮紙に目を落としたまま、去ろうとするガレットに声をかけた。
「ドッペルゲンガーを見る者は死期が近い、というね。あるいは、ドッペルゲンガーに殺される、とも。
精々気を付けたまえ、ガレット君」
「あんた、昼間の事根に持ってる?」
「さあ、何の事かな」
馬鹿馬鹿しい。
にっこりと綺麗な笑みを深めるラクターに鼻を鳴らし、ばっさりと切り捨てた。
モンスターの仕業ならいざ知らず、そんなオカルトある訳ないのだ。
そう、モンスターの仕業なら。
「……。ねえ、ラクター」
「ん、何かな」
そのまますっかり立ち去るものだと思っていたガレットが、足を止めたのに気づき、羊皮紙から視線を上げた。
「あんたの仲間ってどれくらいいるの?」
「…『契約の魔』という括りでなら、見た事はないね。勿論、いないとは断言出来ないが。
だがデーモンという括りでなら、私と近い者に一度だけ会った事はあるよ」
問いの真意を尋ねる訳でもなく、ラクターはありのままを伝えた。
ラクターが言う同じ括りのデーモンとは、ダンジョンにいるような知能の低い連中ではない。
契約のように物事の概念であるもの。神にも近い御霊。
扉を見つめ暫く口を噤むと、ガレットはドアノブを引いた。
「そう、ありがと」
その瞳は、どこか遠くを見るような、懐古するような、寂寞を感じさせる瞳だった。
*
私がまだ娼館に居た頃、
欲と悲観、野心に淀んだ空気の中で、一人だけ異質な空気を纏ってる女性が居た。
ええ、私があの人の事忘れるはずがないわ。
誰よりも綺麗で、美しい
血の繋がりのある姉達より、姉として認める存在。
私が唯一敬愛する相手。
お姉様。
お姉様は私に秘密を残して、ある日突然姿を消した。
「……」
懐かしい夢を見た。
華奢な身体には大きすぎる程の、柔らかいベッドから身を起こし、寝ぼけた目で部屋を見る。
昔の夢を見ていたせいか、慣れたはずの一人部屋に違和感を覚える。
冒険者時代、同じ寝具で夜を共にする事も多かったパンナは、今頃ラクターの部屋で寝ているか、
今が昼間なら、とっくにリビングに移動している頃だろう。
寝癖のついた頭を乱暴にかいて、欠伸を一つ。
「…おねえさま」
夢に出てきた人物をぽつりと呼ぶ。
返事は勿論なかった。
*
「…おはよぉ」
「随分良い目覚めだったようだね、ガレット君。おはよう」
「おかげさまで。あんたが変な事言うもんだから、楽しい夢が見れたわ」
新聞を読んでいるラクターに近づき、珈琲を奪う。
ついでにパンナが運んできたバターロールを掠め取りぺろりと食べると、カップの中身を飲み干した。
「それは私の朝食だし、珈琲もまだ一口しか飲んでいないんだがね」
「パンナおねーちゃん、ラクターさんにまた作ってあげてー」
「…と、言う訳だ。すまないがもう一皿頼むよ、パンナ君」
諦めたように新聞に目を戻すラクターに、満足気に頷いていると
苦笑いを浮かべキッチンに戻ったパンナが、買い物かごを持って再びリビングにやってきた。
「ガレットさん、買い物お願いします」
「…は?何であたしが?」
「ガレットさん今朝も起きて来ないと思って、パンあれしか用意してなかったんですよ。
だから、パン屋さんでなんか買ってきてください。」
「……」
ラクターさんの食べちゃったの、ガレットさんでしょう?
そう、にっこりと毒気の無い、悪意満載の笑顔で言われ、押し黙る。
隣で新聞で口元を隠しながら肩を震わせているラクターを一瞥してから、ガレットは渋々籠を受け取った。
朝や昼前こそ混むものの、朝食時を少し過ぎた時間のパン屋は空いていた。
冷めたパンの入った紙袋を抱え、ついでにと任された買い物メモを見てすっかり通い慣れた市場に向かう。
「この私がおつかいなんてねぇ…はー、馬鹿馬鹿しい。早く済ませて帰ろ」
ここ数日足止めの多かった市場だったが、今回はすんなり目的の物を購入する事が出来た。
まあそう何度も通行止めされてはたまらない。
買い物籠に入れたものを確認し、いざ帰ろうとしたところで、ふと、どこからか視線を感じた。
「…」
人混みの中でもはっきりわかる。
ガレットは進路を変え、さり気なく人気のない横道に逸れた。視線の主を誘うように。
「―――ッ!?」
人目が無くなった場所に入った途端、肩を強い力で掴まれた。
反射的に服の中の銃に手を添える。
「ッは、はあ! つ、捕まえたぞ…!」
「え、だ、誰…」
息を荒げた大男がいた。顔から滝のように汗を流し、顔を紅潮させ下品な笑みを浮かべている。
予想もしていなかった見知らぬ男の登場に、ガレットは銃を抜こうとした手を止め困惑する。
柄は悪いがチンピラ程度の男。筋肉も実践的な物ではなく、趣味で鍛えたようなつき方だ。
加えて服のセンスも無ければ顔も悪い。
そんな奴に絡まれる覚えも捕まる覚えも全くない。
もしかしたらラクターのお客だろうか。
一瞬でそんな考えが巡り、同時に出た『猫を被るべきかどうか』といういつもの癖で、反応が遅れた。
「い、ッた…」
華奢な肩を大きな手で無遠慮に握られ、壁に押し付けられる。
「お、お嬢ちゃんから誘って来たのに、逃げるなんて酷いじゃないか…なァ」
「い、いたいよおじさん…一体誰?離し…ちょ、離せ、この!」
また人違い。
何を言っているかさっぱりだが、いい加減我慢の限界だ。
「ナンパなら上手にやってちょうだい、おじさん!」
汗まみれの顔が迫り、額に風穴あけてやろうと銃を抜いた。
――ふわりと、甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「…!」
男の身体が崩れ落ち、肩から手が離れる。
横をすり抜け倒れた男を避けると、ガレットは茫然と地面に突っ伏した男を見た。
目は開いているものの、焦点が合っていない。恍惚の表情を浮かべて小さく笑っている。
勿論、ガレットがやったのではない。
こんな昼間っから薬物中毒者か、あるいは。
ガレットは一度だけ、『こういう状態』になった人を見た事があった。
「全く、身の程知らずもいいところ。」
腰が砕けるような甘い声が鼓膜を揺らし、緊張した脳を溶かす。
「あたしのかわいいガレットにナンパだなんて、ね?」
ガレットは構えた銃を下ろし、ゆっくりと振り向いた。
どこかで嗅いだことのあるような、懐かしい甘い香り。
肩口で切りそろえられた、ふわふわのブロンドの髪。健康的な褐色の肌。赤い大きな瞳。華奢な身体。
自分とそっくりな顔をした少女がそこにいた。
ええ、その名前を聞いた時から気づいてた。私が貴女を忘れるはずないもの。
「…テーシュお姉様」
「 あたり 」
呟くようなガレットの声に、にっこりと愛らしく微笑んで、少女が歩み寄る。
するするとブロンドの髪が伸び、足が長くなり、身体つきが変わる。
ガレットの目の前に立つ頃には、少し成長したような少女――
それはまだガレットが右も左もわからない幼い少女だった頃、姉と呼び慕っていた唯一の人物。
誘惑の魔、テーシュの姿があった。
髪を掻き上げ、男女問わず魅了するようなその姿は、文句のつけようがない絶世の美女。
見た目こそ違うものの、あの時と変わらない不思議な空気を纏う様は、誰よりも美しかった。
「久しぶり、ガレット」
赤い目を細めるテーシュに、
ガレットは抜いた銃はそのままに、スカートの裾を摘み、膝を曲げ、頭を深く深く下げた。
それは敬愛する姉への、ガレットなりの最敬礼。
「お久しぶりです、テーシュお姉様。――お変わりないようで」
堂々と自分の姿を見せつけるように。にっこりと、愛らしく微笑んだ。